金というのは大人になれば勝手に溜まっていく物だと、子どもの頃は信じていた。

給料が出た。金、金、金と、私は一体いつまで金の心配をしながら暮らしてゆかねばならないのだと煩わしい気持ちで一杯になるが、その瞬間に、私はいつか金など履いて捨てるほど溜め込む生活を送れるようになるのを前提で考えている事に気付き、笑いそうになる。

 

 

金というのは大人になれば勝手に溜まっていく物だと、子どもの頃は信じていた。

朝6時40分に起きて朝食登場比率9割5分超えだった目玉焼き・納豆・大根の煮物を白飯で掻き込んで、8時に学校へ行って、17時に帰宅すれば、母から「今日は給料日だったから小遣いの日だや」と言われ数枚のお札が入っているのであろう近所の銀行の白い封筒から千円札を3枚ほど渡される。

端金の様に渡されるごく少量のお小遣いも、小学生だった私には勿論大金であったから「早く大人になって働いて3200円とか会社から貰えるようになりたい」と、子どもながらに“働きたい”などと考えていた時もあった。大人にさえなれば、「今月は遊戯王カードを◯パック買って…半分は秋に出るパワプロの貯金にして…」なんて煩わしい想いをせずに済むはずだった。

では、大人になった今はどうかというと「今月は映画館に◯回行けて…月末に飲み会があるから半分は貯金して…」だ。桁数が1つ増えただけで「あ!今アクエリアスなんとなく買っちゃったけどコレで今月使えるお金の半分無くなってるじゃん!」と酒場の自動販売機の前で愕然としていた小学生の私と、28歳になった私。ここに一体何の違いがあるのか、今はよく分からない。

 

 

大人になれば金は勝手に溜まると信じていたのと同じように、「大人にさえなれば」と心のどこかで思い込んでいた事案は、考えてみれば沢山あった。大人になれば勝手に恋人は出来るし、大人になれば勝手に頭がよくなるし、大人になれば勝手に我慢強くなるし、大人になれば勝手に髪にパーマがかかるし、大人になれば勝手に水色のポロシャツがよく似合うようになるし、大人になれば勝手にゴールデンレトリバーを飼うようになる。

多分子どもの頃に見ていたアニメの「大人が持っていた全能感」の描写とかも影響しているのだと思う。

「大人は失敗なんかしない」と刷り込まれたせいで、今の私はわざわざ概念としての大人像と自身とを比較して、落ち込んでいたりする。クレヨンしんちゃんのひろしが市民税を払えないフリーターだったり、スネ夫JAFカード提示で公共施設を割引で使う回とかがあれば、もっと大人のダメさと幼少期から直面できていたのかもしれなかったし、こんな風に思い悩む事もなかった…となった所で、中学1年だった頃、妹が居間でドラえもんを見ている時にその後ろで居眠りしていた祖父が寝タバコでこたつカバーに火が飛び、結構なボヤを起こした事を思い出した所で、私は大人の色んなダメな部分からかなり必死に目を逸らしながら育ってきた様な気がしてくる。