辺境にあるのが私の地元だ。つまりジャスコくらいしか周りに無い。
幼少期によく通った店舗がドンドン潰れて「老人ホーム」か「宗教団体の事務所」のどちらかになっていく。何の変化もなく、ただただ緩やかな死を待つだけの田舎だと思っていた地元も、少しずつではあるが、その形を変えている事に気がつく。
「変えている」よりも「変えられている」の方が正しいかもしれない。意識の無い物に人間が一方的に感情を押し付けるのは傲慢な事であるが、意識があるというのもコレはまた厄介で、思わなくてもいい寂しさや虚しさを勝手に、しかも一方的に感じ、背負わなければならないのだから面倒臭い。
例えをあげて言えば「幼少期によく通った店舗がドンドン潰れて老人ホームか宗教団体の事務所のどちらかになっていくので何かイヤ」である。
意識の有無などを私は願ってこの世に生を受けたはずではなかったのに、わざわざ店舗の横を通り過ぎる度にオートマで脳髄に幼少期へと想いを馳せられて、わざわざ嫌な気持ちになったりする。
例えば、ここで私が女子高生であれば「お母さんが勝手にお父さんとセックスして私を産んだくせに、他人の人生にまでアレコレ言うの辞めてよ!」などと叫んだ直後に母子家庭の母からビンタ、12歳の妹のおねいちゃん!の声も聞かず涙目で家を飛び出し、親友のユッコの家で一晩過ごす事で、一定の我が人生、我が意識への抵抗も出来たはずだが、私は女子高生ではないのでそのチャンスは無い。なので、こういう遠回りな事しか出来ない。
幼少期に通った店、といっても大した事はない。そもそも田舎なので店の選択肢など始めからありはしない。
「ニューヨークなら自由の女神、パリならエッフェル塔と凱旋門、ならばウチの地元はジャスコがある!」と誇りを持ってジャスコでお国自慢をしてくる人間がたくさんいる程度の辺境にあるのが私の地元だ。つまりジャスコくらいしか周りに無い。
それでも、休日によく父に連れて行かれたレンタルビデオショップがあった。
車を飛ばして20分ほどのこの店で、私はドラえもんとクレヨンしんちゃんのテレビシリーズと劇場版をかなり頻繁に借りていた。
ただ、店の在庫にあったドラえもんとクレヨンしんちゃん関連のビデオテープは殆ど鑑賞していた様な気がするのだが、小学生の私がチョイスした雲の王国と宇宙開拓史のビデオテープで挟む様にしてスカトロ物や拷問物などのキツイAVを借りていく父の姿の方が強烈過ぎて、内容の方を殆ど覚えていない。*1
「『子どもに好きなアニメを見せてやりたいから』よりも『早く自慰をしたいから子どもを連れてカモフラージュしよう』の方が私を連れていった理由としては強かったのでは…?」と、この文章を書きながら、強い憤りを感じている。私が劇場版ドラえもんをテレビの前で楽しんで過ごした120分は、そしてその記憶は、一体どこから来て、どこへ行ったのか?恐らく父がその日の夜にトイレに流したオナティッシュと一緒に消えてしまっている。
このレンタルビデオショップはその数年後に閉店となり、今は宗教団体の事務所となっている。私がこの宗教団体に良い印象を持っていたり、以前から件のレンタルビデオショップに対して良い思い出を保ち続けていたら違っていたのかもしれないが、現時点では「失ってしまった思い出」と「父のスカトロAV」が、頭の中でイコールになってしまっている。
ところでこの宗教団体の事務所、いつ車で横を通りすぎても窓が閉め切られていて、人がいる様子が全くない。個人的にはこの事務所のドアを開けると溢れんばかりの父のオナティッシュが流れ込んでくるとかなりしっくり来るのだが、多分違う。
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*1:この前CSで宇宙開拓史を放映してたから映してたら普通に最後まで見たし