フリースタイル、始めます。

「真剣になった奴からアホになっていく」でお馴染みの『人生』である。
精神面でも経済面でも、「早く生きる事に本腰を入れてくれ」と、日常に生きる一般市民をあらゆる角度からドンドン追い詰めて行く。それが私達が歩む『人生』様である。ご存知の様に。

私は気付いている。私は知ってしまっている。『人生』は人をアホにする事に躍起になってしまっているのだ。
誰かが言わなくてはならない、誰かが止めなければならない。
「ちょっとやりすぎですよ」と。
「みんな引いちゃってますよ」と。

休日に中指の爪の匂いを嗅ぐことだけに2時間費やしても『お前はそれでいいのか』と急かさないで欲しい。
Twitterで自分のpostがパクれらていないか、検索で巡回するのに2日費やしても『お前はそれでいいのか』と急かさないで欲しい。
鏡に写った自分の顔がどう見ても、もう「若者」とは呼べない様な顔つき、風貌になっていて2度見したとしても『じ、さ、つ!じ、さ、つ!』と盛り上がらないで欲しい。

只々、中指の匂いを嗅ぐだけで、只々、死んだ目でネットサーフィンを行うだけで、只々、鏡に写った青白い顔を覗き込むだけで、『人生』は「そんなんだからお前は駄目なんだ」と脳内に直接語りかけてくる。
「もっと真人間になれ」
「生活リズムを正せ 11時に寝て7時に起きろ」
「外から帰ったら爪の中までちゃんと手洗いしろ」
SNSなど辞めてしまえ アレはクソの集りだ」
などと、それが正論であるのをいい事に、罵詈雑言を私に浴びせてくる。それが私達が歩む『人生』様だ。何度も言う様に。

何故そこまでして『人生』は私をアホにさせようとするのか。
どう考えても横暴である。八つ当たりも大概にして欲しい。私の様な生活弱者を虐めて何が楽しいのか。

イヤ、魂胆は分かっている。自分は完璧な人間だからな、このくらい何でもお見通しなのだ。

『人生』が私を追い詰め、それにより精神は摩耗し弱り切った所に、更に『いい加減にしろ、同世代の人間はみんなちゃんと働いているんだぞ』と追い打ちを掛けてくる。ここくらいまでは予定調和だろう。

そして、遂に心療内科のお世話になる事になった私が広い病院で迷子になった末に屋上で出会うのは、腰まで伸びた黒髪が特徴的な、不治の病に侵された1つ年上の17歳白ワンピース着用Cカップ女子(この設定では私は16歳である)だ。
しかし出会いは最悪、屋上に吹く強い風になびかれ、ワンピースからチラリと覗いたパンツを『見た』『見ていない』『見た』『見ていない』のすったもんだ。
しかし縁とは不思議な物で、病院内では何故か事ある毎に出会ってしまう私たち2人。

『アイツなんて大嫌い!でも、目で追っちゃうのはなんでなのかな…』という、友達以上恋人未満の関係をダラダラ続ける私達にも、毎日の様に何かしらの事件は起き続ける。

とある日では、クソデブオタクの友達と、たまたま完成させてしまったタイムマシンを、白ワンピース女子と一緒にタイムリープマシンとして実用化してしまい、結果的に機密機関の陰謀に巻き込まれてしまう。

またとある日では『死体を見に行こうぜ!』と白ワンピ女子に誘われるままに線路を歩いていたら、後ろから突然列車に追いかけられて、走る。とにかく走る。最後に死体を見つけて「なんだかなあ」な顔をしたりする。

またとある日では鎧の中に魂が定着してしまった白ワンピ女子と一緒に、伝説の存在と言われている『賢者の石』を捜す旅に出たりする。

『たった一つの出逢いが、僕の日常を変えてしまうなんて、あの時は思いもしなかったんだ…』というモノローグと共に、『僕たちの旅はまだまだ続くぜ!次回作にご期待下さい!』と締められていく。


そして、場面はミスタードーナツの端の席で家族連れとカップルに挟まれながら、ここまでの文字列を書いている『私』という人間に切り替わる。
『人生』に頬を叩かれ『いい加減に目を覚ませ!!お前は24歳フリーターだぞ!!』と叫ばれた結果がコレである。

『今の世界から逃げたいがあまりに物語の世界に逃げ込む。』
この「逃避」は財布の中に18円しか無かったり、「何も楽しくない」とSNSにわざわざ書いたり、一人暮らしのおばあちゃんを見ただけで悲しい気持ちになってしまう様な、心の弱い人間によく使われる手段である。

「物語の世界に逃げ込む」。
しかし、ココまでは良いのだが、この逃避の最大の弱点は「戻ってくる時にスゴいキツイ」だ。

只々日常を生きても、自分ではない、どこか遠い世界を想像しても、結局は『人生』に首根っこを掴まれ、現実に引き戻されるこの生活。
こういう首の締め方もあるんだよ、こういう追い詰め方もあるんだよ、と『人生』様は私達に教えてくれる。ご存知の様に。