hot for words

悪口が死ぬほどポンポンと出てくる子どもが「一目置かれる」子どもであれた気がする。少なくとも私の幼少期の場合。

私が小学生だった頃におばあちゃんに(しみじみ)といった感じで言われた「お前が初めて幼稚園に行って覚えて来た言葉は『死ね!』だった」というその時のおばあちゃんの言葉とおばあちゃんの表情が忘れられないから、という事もあるのだろうが、とにかく「とりあえず死ねと言っておけばオッケー」みたいな幼少期であったし、その流れに上手く乗る事が出来なかった事が記憶の中に強烈に残っている。友達にちょっかいを出されたら、笑いながらの「死ね」。『女子に向かって言えばお前も俺たちの仲間入りだ』とまるで元服制度の様なクラスの足の速い連中に催促されての「死ね」。死ねで傷付くお前が悪い、朝の死ね、昼休みの死ね、下校時の死ね。女子高生がとりあえず感想として言っておく「ヤバイ」の小学生バージョンが私たちの「死ね」であった。


今思い返すと、おそらくその言葉と出会うまで、「死」という概念は私の中には全く無かったのだろう。そういった物はテレビの影響で覚えるのが普通だったのかもしれないが、私が毎週見ていたマジカル頭脳パワーでは色々なアトラクションがありはしたが、板東英二が笑いながら死人が出る様なデスゲームの司会進行をする回は残念ながら見た事は無かったし、毎日ルールもよく分からず何となくプレイしていた桃太郎電鉄も「なんで自殺しないの?」と思える程の借金を画面の中の私が背負った事もあったが、貧乏神も死を誘導する様な言動は見せなかったので、コレは仕方が無かった。多分ドラマなんかで恐らく1度くらいは「人が死んでいく描写」は見ていたとは思うのだが、幼稚園に入ってある意味「死ねのカルチャーショック」を受けた所を見ると、「画面の中の遠い向こうの出来事」とでしか「死ぬ」という事を認識していなかったのだろうと思う。


そんな「今までありもしなかった言葉」と急に出会う幼稚園デビューだったので、もう初日から完全に置いてけぼりを喰らった様な記憶もある。しかも、周りのお友達たちはもう当然の様にその文化とは触れ合っていて、我が物の様に『死ね』をもう完全にマスターして振り回しているのだから、完全に衝撃を受けてしまっていた。昨日のマジカル頭脳パワーでまた所ジョージが最後の間違い探しゲームで300点を取って逆転優勝して凄かった、とかクイズ世界はショーバイ、ショーバイ!でまた逸見さんと山城新伍が喧嘩してた、とかそんな話は幼稚園にいる間では勿論一度も出来なかった。


でも、そういう「心ない言葉」を平気でドンドン言える子どもが「クラスの中心」になれていたのは間違い無かった。その「死ねよ!」が発展していくと女子に向かっての「ブス!」とか「消えろ!」とか「班長なんだからお前が全部やれよ!」とか言える子どもになれたのだろうが、それも当時では「子どもらしい」で済まされる話であったし、言い返す事も出来ずに只々傷付くだけの子どもという物は本当に損だったな、と思う。例えば「板東英二って一体何をした人だったの?」とか「山城新伍山瀬まみって付き合ってるの?」とかを一度でもクラスで言ってみていれば、また特殊なコミュニティを築けて、その中の中心として上手くクラス内での居場所を確保できたのだろうか。書いてて思い出したが、私が小学3年生だった頃の学級文集で1コーナー「○○くん、○○さんってどんな人?」では私のクラスでの印象は「クイズのとくいな人」だった。今も当時も「なんだそりゃ」と思うし、思った。