catch a gold

久し振りに風邪を引いた。最後に引いたのが今のバイトを始めた時くらいだから、ちょうど半年振りくらいだ。

今こうしてブログを書いている私の状態といえば、鼻が詰まり、咳が出るのでマスクをし、目が悪いのでメガネを掛け、音楽を聞きたいのでイヤホンを付けている。つまり、人間の感じることの出来る嗅覚とか視覚とか、そういった物は今の私には殆ど機能されていない。ついでに言えばこのブログも殆どは第六感で書いているので、例えば後ろから母に溜まりに溜まった学費ローンの為に生命保険狙いで私の後頭部に斧がこの瞬間に振り落とされる事になっても、例えば「弱っている男性がとてつも無く好き」という女性の好みにどストライクな見てくれをしている私への「騎乗位をしたい」という美女からの熱い目線といった「何となく」も全く感じられないという状態にある。あるいは「ちょっとした自我がある肉塊」にまで私の魂レベルは下がっているとも言える。


今は実家暮らしという事で、家族の「介護」を甘んじて受ける事が出来るが、過去に一人暮らしをしていた時に引く風邪の辛さという物は、当時嫌というほど思い知らされた。噂には聞いていたがあそこまで辛い物だとは思わなかった。起床し、布団から抜け出し、「辛い」と感じ、辛い中でコンビニにお腹に優しい物を買いに行き、家に戻り、眠り、辛い中で起床し、一人で食事をし、「辛い」という独り言を聞いてくれる者もおらず、2日間は一言も口を開かずに延々と起きる、眠るを繰り返す。起床し目覚める度によく分からない「圧迫感」の様な物を感じたので「この部屋はだんだんと狭くなって来ているのでは?」と自室の間取りを本気で疑ったくらいだ。体調が悪い中、家に帰って来ても出迎えてくれる人がいない部屋を見た時の「シーン」という大音量は天井が降りて来てたり壁がジリジリとこちら側に擦り寄って来ないと聞こえる事は無い音だったのでは、などと理由付けをしないと私の五感が感じた事に説明が付かなかった。


子どもの頃の私は虚弱体質+仮病好きのバイリンガルだったので、そこそこ丈夫になった今でも久し振りに風邪を引くと当時の記憶が薄っすら残っているのか母から「ま~た風邪引いたんか!」と言われてしまう。しかし思い返してみると、「子どもが掛かりやすい体調不良の原因」の大抵を当時に経験した様な気もする。

おたふく風邪に、インフルエンザ、蕁麻疹、はしかも掛かったと思う。特に印象深かかったのはインフルエンザだ。私は隙さえあれば学校は小学生だった頃から休みたかったので、通常の体調不良による「学校に行く事が出来ないのですがよろしいでしょうか?」ではなく、逆に学校側からによる「インフルエンザが他の生徒に移るといけないですから、どうかどうか学校に来ないで下さい」というドラフトで言う逆指名制度の様な「出席停止制度」に、すごく憧れがあった。いつも仮病で感じざるを得ない罪悪感も、「昨日、自分は仮病で休んだんだ」という心持ちの元で翌日に向かう教室の入り辛さも、布団の中に包まりながら思う「もしかしたらクラスメイトは私の事を『どうせアイツ仮病で休んだんだぜ』などと悪口を言っているのではないか」という心配も一切感じずに済む「出席停止」。

しかもHRで先生から「◯◯君がインフルエンザになったので5日間学校に来れません」という報告を聞いた時のクラスメイト達が醸し出すインフルエンザになった◯◯君に対するちょっとした英雄感とか「ああ、アイツも思えば遠くまで行っちまったな…」みたいな感じも「すっごい良い」だったし、「ここは次は私がインフルになって後に続くしかないだろう」という様な勝手な義務感すら私は感じていた。クラスメイトの誰かがインフルになるとその週は特に重点的に夜更かしをしたり、毛布を一枚どかして眠ったりするなどの努力で、毎年必ず私もその流行に乗っかる事に成功しインフルに掛かっていた。なので相乗効果でまた仮病で休もうとしても「木を隠すなら森の中」という言葉通り、担任の先生も「この子は病弱」という先入観で全く仮病を疑われるも無かった。そう、あの「水泳パンツ自作自演で隠してクラスメイトをも巻き込む学級問題発展事件」までは……。