結局「昔はよかった」と言う

僕がいわゆる「テレビゲーム」と出会ったのは一体いつ頃だっただろうか。始めてこの目でゲーム画面を見たのは、僕が小学校に入学したかしていないかくらいの頃、父親がプレイしていたファミコンの「ファミスタ」のそれだった。日曜日の昼間は、当時の父親のルーチンワークとして「お昼1時から放送していたテレビ番組スーパージョッキー内のワンコーナー『生着替え熱湯風呂』を見た後は夕方までずっとファミスタ」というのが決まり事になっていたようで、その時間になると父親の部屋に行き、外で遊ぶということが大嫌いだった僕は、ボーッとドット絵の「きよすく」がバットをブルンブルン振るのを只々只々見ていた様な記憶がある。僕も父親も友達はいなかったのだろうか。何か悲しい記憶だ。


始めて「自分のテレビゲーム」を持たせてもらったのは8歳とか9歳だったと思う。最初に買い与えて貰えた桃太郎電鉄は1人で死ぬ程やったし、誕生日だかクリスマスだかに買ってもらったスーパードンキーコングのグラフィックの綺麗さと言ったら、「僕の美化された記憶」の中でではPS3を軽く凌駕している。3Dよりもっと3Dに見えていた。ディディーが目の前に本当にいると確信していた。嘘じゃない。


ゲーム内で思い出深いのはドンキーコングの彼女役の「レディーナントカコング」の存在だ。(本名は勿論「レディーナントカコング」では無いのだが、ここでは書かない。だって調べるのがめんどくさいから。)何故かと言うと、その「レディーナントカコング」は、彼女だけが登場人物中唯一の6頭身くらいある奇跡の「二足歩行コング」で、他の四足歩行コング達と並ぶと違和感がありまくりで何とも言えない威圧感があったからだ。ウホウホ言う猿の中にポツンとモデル体型だ。怖すぎる。そのせいで、彼女が鎮座しているセーブポイントでは、彼女の姿を見るのが怖くて目を瞑ってセーブしていたので、セーブデータが次から次へとランダムで消え、全くゲームが進まなかった。今思うと、アレが任天堂の「長くゲームを遊んでもらう為の工夫」の一つだったのかもしれない。どうでもいいけど。


長く遊んだ、という点で見れば「スーパーマリオRPG」が一番長くプレイしていたゲームだった。だって何週もしてたから。しかも何年にも渡って、だ。これはエンディングを見た状態、所謂「全クリ」状態になるのが凄く勿体無く当時の僕は感じていて、ラスボス手前まで行ってセーブをしたらそのデータを消し、また最初から始める、ということを何度もしていたからだ。多分ざっと見ても200時間くらいはやっていた様に思える。そののめり込み様たるや、殆ど病気だ。「スーパーマリオRPG教」という宗教があったら、熱心な信者になっていた事だろう。毎日決まった時間に任天堂本社がある方向に向かって頭を下げてお祈りだ。そんな宗教ないけど。


あれから十数年経ち、今の子ども達が嵌るゲームの代名詞みたいな、モンハンとかそこら辺の「多人数でワイワイガヤガヤやるゲーム」を見る度に、1人で黙々とRPGを何週も繰り返していた子どもの頃の僕が「あんなに簡単に友達とコミュニケーションが出来るゲームがあるなんて凄いなあいいなあ」と涙目で羨ましがってくる。まあ今回のテーマは「ゲーム」な訳で、「嫉妬」とか「友達が少ない」とかに移り変わる前に、もう止めておく事にする。