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もし自分のお金でハイパーヨーヨーステルスブレイン5250円也を買えていたら

この人生で「足りない物」が多過ぎる。


例えば、運。
思えばそれは今に始まった事では無かった。幼少期に毎月1000円のお小遣いを全てつぎ込む程に熱中した遊戯王カードも、レアカードが当たった記憶は2,3回くらいしか無い。(大人になった私が「何故あんな紙切れに累計何万円もつぎ込めたんだ?」とあまりに愚か過ぎた自分自身から逃避したいが為に記憶を抹消しているだけなのかもしれないけど)


皆さんご存知の通り、子どもにとっての1000円なんてのは「コレで1ヶ月は遊んでくらせるぜ!」と本気で信じ込める程の大金であった。そしてその大金が、所謂「ハズレカード」であったゴミクズにドンドン変わっていった時のあの気持ち。もうそれは「絶望」以外の何でも無かった。「そうかコレがあの噂に聞く『絶望』か」とハローマックのレジ前で膝を付くという辛い体験を、遊戯王カードは私に提供してくれた。


それに加え、私はとことん愚かな子どもで、どのくらい愚かだったかといえば、『親戚のオジサンからお小遣いで1000円貰えたぞ!とテンション上がってしまい自動販売機で150円のジュースを買ったその直後に今貰った全財産の10%以上が失われた事に気付きアクエリアス片手に愕然とする』という様な可哀想な子どもであったので、どれだけハズレカードを掴まされても「この次なら…この次ならきっとレアカードが…」の悪循環に簡単に陥った。そうやって私はドンドン深みに嵌っていったし、一緒にハローマックに遊びに行った友達たちばかりがレアカードを当てていた事も、それに拍車を掛けた。


お小遣いを何とかやりくりして買った物、もしくは誕生日やクリスマスに買って貰った物も何と無く「ハズレおもちゃ」が多かった気がする。確かに安全パイというか「このゲームは絶対面白いに決まってるだろ」と子どもながらにコロコロとかVジャンプとかを読んで知った情報を信用して買ってもらった「スーパーマリオRPG」とかはやっぱり面白かった。


ただ例外はいくつもあって、その中でも「ハイパーヨーヨー」が私の残念おもちゃ履歴の中では筆頭だ。コロコロで連載されていたヨーヨー漫画では主人公が「まあ基本中の基本だよねーシューシュルシュルシュルペッペーンペッペー…ヘイ!」と簡単そうにやっていた超基本技でコレが出来ないとお話にならないとされた『ロングスリーパー』という技が、まず出来ない。


もう誰でも出来て当然だとコロコロ側も思い込んでいるのか、「ハイパーヨーヨー攻略メモ」みたいなアドバイスコーナーでも『手首のスナップを効かせてヨーヨーを回転さえさせれば誰でも簡単に出来るワザだゾ!』としか書いてない。しかもコレはおばあちゃんがタクシー会社の電話番のパートをしてまで私に資金提供をしてくれて、そして自分のお小遣いと合わせてやっと購入した高級オモチャだったから、簡単に投げ出す訳にもいかない(すぐ飽きたけど)。


更にコロコロを読み進めていけば『ヨーヨーはメンテナンスが大事!オイルは必ず買っておこう!』だの『紐は消耗品!常に予備は持っておこう!』だの「いい機会だからガキ共からふんだくれるだけふんだくっておこう」という大人たちのゲス顔が完全に紙面から垣間見えてしまった。そんなハイパーヨーヨー商法に金の無い子どもである私では全く付いていけなくなってしまったし、最終的にはヨーヨーを適当にブン回してたら背後のガラス窓を大破させてヨーヨーを父に取り上げられた事もあって、事情を知らないおばあちゃんの「ヨーヨーの練習はもうやらないのかい?」という声が只々辛い1月2月を過ごすだけになってしまった。


…ここまで書いて思ったが、私に足りていかったのは「運」よりも「金」であった気がする。


金さえあれば、遊戯王も始めから3000円のスターターパックを山ほど買ってクラスの足の速い連中よりその一時だけでも優位に立てたかもしれないし、もし自分のお金でハイパーヨーヨーステルスブレイン5250円也を買えていたら、おばあちゃんの目を気にする事なく可愛い小動物や近所のウソつきオバさんに投げ付けたり、回転するヨーヨーにおちんちんの一番弱い所とかを押し付けて、一足早い性の目覚めを完遂する事が出来たかもしれなかった。


ああ、悲しき低所得者。皆さん、見て下さい、これが低所得者の思考ですよ。結局はどんな話をしても、最終的には「金が無い」か「身体のどこ何処が痛い」の話に収束してしまう。


更にもう一つ加えさせてもらうとすれば、ヨーヨーの事を完全に忘れた数年後、当時の私の「お小遣いをもう少し上げてほしい」という抗議の末、母から引き出したのは「家の手伝いを1回してくれる毎に100円あげる」という、果たしてコレは条件の引き上げになったのか些か疑問の残る微妙な提案。結局コレを受け入れる事にしたのだが、夕飯後の皿洗いをする私の横で食器の後片付けをする母からは毎日毎日父への悪口を聞かされる羽目になり、実際その5年後くらいに両親が本当に離婚してしまった、という滅茶苦茶後味の悪い思い出。


『母はさりげなく息子の私に冗談混じりではあるものの、SOSのサインを毎日出していたのではないか』と考えるとブツブツが皮膚に沢山出てくるし、やはり「どこ何処が痛い話」で今回も終わりそうである。「運」も「金」も無ければ「愛」も無かった、という話になってしまった。とりあえず今日は左胸と小脳が痛い。