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BOOK OF SUPER BAZAAR

トンカツ、ネギトロ、寿司、焼肉、ラーメン…人間を殺したとして、その人肉を私だったらどの様に調理してそれらしい料理にするか羅列してみた、のでは無くて、単純に食卓に並べられたら椅子の上に立ち上がって「やったー!」と両手を突き上げる程の大好物を書いてみた。この場合、ネギトロと寿司は完全に別カテゴリ。18歳までの実家の近所にあった魚屋の「容量を少しでも多くする為に豚の脂肪を混ぜこむ事で出来上がったエセネギトロ398円」を昔から料理のできなかった一人目のおばあちゃんが、夕飯のおかずに、とコレばかり買ってきたせいで「ネギトロとはこういうものなんだ」と信じ込んでしまったせいで「そういう特集ネギトロ」が、完全に寿司とは別物として私の脳髄にはインプットされてしまったから。どうでもいいけど。



で、好物。「大好物」は昔からそんなに変わっていないのだが、「大好物とまではいかないけどあったら喜んで食べる物」と「嫌いな食べ物」が昔と比べて前者は随分増えたし、後者は逆に殆ど無くなってしまった。子どもの頃に給食で始めて食べ、その弾力性ゼロの食感に死ぬ程驚き、結果吐き出した里芋の煮っころがしも「何故干したんだ!」でお馴染みレーズンも、子どもの義務として嫌いと言っておかなければならなかったピーマンも、大人になった今は流石に大量は食べられないが、箸でつまむ程度なら普通に食べられる。「あっても無くても良い」から「普通に好き」レベルに繰り上げになった物の代表格では、ふきのとうとかウドの天ぷらとか。居酒屋にあったら絶対注文する。居酒屋メニューでいえばネギやシシトウの串焼きに塩だけかけたヤツも好きだ。お刺身もマグロやサーモンより断然光り物のアジやサンマの方がパクパク食べられる。しかもここに挙げた居酒屋メニューは全部「安い」。お酒も私はあまり飲める方でも無いので、これとあと時間さえあれば2000円くらいで永遠に居酒屋の隅に居座っていられる。


味覚が変わったのか、それとも食べられない物が無くなってきた事から、単純に食べ物自体にあまり執着しなくなってきてしまったのか。もし後者だったとして、こんな私では幼稚園に阿鼻叫喚を齎したゲロまみれの里芋にも、中学の給食でいじめられっ子の山崎君に私が押し付けた事で山崎君の胃袋に消え血となり肉となったレーズンパンにも顔向けができない。あと単体ではそんなに嫌いでは無いのだが、ご飯と組み合わせて出てくるクリームシチューが「小学校の頃の給食で残飯を入れる容器の中身を連想させる」という事で今でも苦手だ。母がクリームシチューをご飯と一緒に食卓に並べる度に、あの頃ブチまけられた里芋も山崎君がいい加減半ギレで捨ていったレーズンパンも全てが混ざり合った「残飯捨て容器内」の様子が脳裏に浮かんできてしまう。もしかしたら私は味が苦手なのでは無く、その食べ物の食感であったり、「何となくのイメージ」で嫌いなのかもしれない。その点は「だんだん思考が面倒臭くなってきている」という点で安心できる。このまま無心で飯を食らい、好きも嫌いも何も分からない様な味覚廃人になって日々を暮らしたい。将来有望だ。