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「ソイ・ラテで」でさえ恥だ

誰しも、余り触れて欲しく無い話題というのは持ち合わせている物だとは思う。そういった所で「空気を読む」ことで上手く会話のリズムを紡いで行き、雰囲気を作れるのがスマートな人間、モテる人間の必須条件になるのだろうが、では果たして「大抵の過去がトラウマ」の人間にはそういったおモテになる奴らはどうやって立ち振る舞うのだろうか?まあ言わなくてもいいのだろうが僕がそうなのだが。


「あ、この人はモテるのだろうな」という人間も偉い物で、僕の様な人間でもすぐに分かったりするからそういう「オーラ」とは偉大だ。恐らく、こちらが気付くくらいな訳だからあちらも「ああこいつは友達がいないのだな」と気付かれているに違いない。大学時代にアルバイトをしていた時は、何故か僕以外の人間の男子が、殆ど「体育会系」の「愛想が良く笑顔が素敵」で「会話の主導権が握れる程の話術」を持ち「女の子ともすぐ下の名前同士で呼び合える程の仲になれる積極性」を揃い合わせた「ハハン、さては君達、童貞ではないな!」と恰も「ふふ、名探偵は全てお見通しなのさ」と言わんばかりの自信と経験を兼ね揃えた張りのある声で、人差し指をビシッと最早モブキャラの様なモテ夫に突き付けられる程に、見た感じ、雰囲気からも分かり切ったリア充達に囲まれて働いていたので、そういった「人種の違い」が明らかに違う方々とお話を私の様なアオミドロがさせて頂いた時もヒシヒシと実感したものだ。


彼らも最初は僕に話しかけてくれるのだろうが「この樹木、エキス無し」と判断したのだろう、あっという間に皆別の木々に飛びつく為に離れて行った。一番勝手に傷付いていたのは「あ、こいつ明らかに俺を友達がいない奴と見なして会話に気を使い始めたぞ」という瞬間であった。「マイナスオーラを感じさせてしまって申し訳ありません」という気持ちと「何俺に気を抜いた瞬間勘付かせてるんだぶっ飛ばすぞ」という気持ちが無い混ぜになる瞬間がここにある。常々思うのだが、僕は「コミュ障」というよりも「どうしようもない」のベクトルの方が強い様な感じはする。どうしようもない。


只々、何かを話そうとしても思いつく話題、思いつく話題が話す前から「あ、コレ嫌な事があった、という話だから話終わった後誰も得しないぞ...?」と終わりが見えてしまっている物ばかりなのも辛い。多分、落ち着いて考えれば、ちゃんとお話出来るニュースもあるはずなのだが、この前も「昨日大掃除をしていたら」と話始めたはいいが、最終的には「離婚した父親が全然本を読まない人だったのに、俺が子供の頃に多分適当に買ってきた西遊記の原作(しかも8巻だけ)が出てきて、凄い嫌な気持ちになった」という終わりになるのを話始めてから気付いて「...掃除って面倒だよな...」で途中回で打ち切りとなった事もあった。会話とは難しい物で、話題があっても、あまり親しくない人が相手だと「この人、絶対困るだけだな...」と変に気を使ってしまう。俺に気を使わせるんじゃねえよ、馬鹿。


恐らく「そっとしておく」というのがそういったクソゴミ面倒臭い人間の対象の仕方なのだろうが、モテる人間というには優しい人間という事もあって、何とかしてあげようと話しかけてくれるコミュニケーションの師匠の様な方もいらっしゃる。有難い事に、そこまでちゃんと付き合ってくれるとなると、当時は決まって年上で先輩の友達しか出来なかったのだが、今、その先輩と同じ様な年齢の立場になって、果たして負のオーラを纏った明らかに面倒そうな人間に話し掛けるかと言ったら多分無理だ。永遠に年上のコミュニケーションの師匠に匿って貰わなければ満足にお話も出来ないのかもしれないという懸念さえあるのが何とも悲しい。というかコミュニケーションの師匠って何だ?弟子制で会話で噛んだりすると合コンで野菜を取り分ける時に使うトングや大皿で殴られたりするのだろうか。多分フィクションの存在だ。