震えながらおちんちん丸出しで待機の20年前にだけは戻りたくないのだ。

 勤務先の店長に月140時間程度の労働時間で調整をお願いしたはずが、11月に入っての労働時間がここまでわずか18時間となり「アイツ適当にシフト表に棒線引いてるだけなんじゃねえの!?」と疑心暗鬼になっていた所で、時計は22時を指し、今週3度目の休日が終わろうとしている。

休みだ休みだ!と10時間眠る頻度がこうも多いと流石に不安になってくる。

出来れば働かずに貯金を貯められれば越した事はないが、今の社会の仕組みでは私の1時間を労働というフィルターを通して数百円で企業に買ってもらわない事には、私のゆうちょ口座の数字が増える見込みがない。

 

 

 大学生だった頃は「大学生は寝るのが仕事」と記された悪い小説に影響されてしまったせいで、喜んで毎日講義をさぼっていた物だったが*1、死ぬまでそんな生活を続ける事は不可能であるという事くらいは、姉汁やナースにおまかせの体験版をしては風呂で亀頭だけサッと洗ってバイト先に出勤を繰り返す大学生だった私でも、理解くらいは出来る。今はお腹とかも洗ってるし、3日に1回くらいはリンスを付けて髪洗ってるし。

 

 

大学生だった頃には感じる事がギリギリできた私を取り巻く世界の肯定感も、大人になればなる程、それは「単なる思い込みであった」という事に気付く機会がだんだんと多くなっていく。大人になるという事は他人と接する機会の増加であるし、他人と接する機会の増加というのは、他者の悪意と正面衝突する機会の増加であるからだ。

人間の感情という物は足し算引き算の様に簡単に割り切れる物ではなく、我々の優しさの裏にはどこかで打算があり、我々の愛情の裏にはきっと計算がある。

多角的な物の見方、物の感じ方という所に「人間らしさ」を感じる事も少なくはないが、「人間は表面的な物だけでは割り切れない」という事を学習してしまった後では、いついつどんな時でも我々の脳内に侵入してくる多すぎる感情に、少し疲れてしまう事もある。

そう考えると子どもというのは、大人が持つ感情の裏側に触れ続けた結果、それを学習せざるを得なくなった可哀想な存在である事が分かる。それでも「昔は良かった」「子どもの頃に戻りたい」と、インターネットおじいさんの様な考えに浸ってしまう事が多々あるのは、私が今の現状に不満を抱いているからであるだろうか。

 

 

しかし「昔」というそれは、時間の野郎が、キミたちの味方!の様な甘い顔をしていた期間であったに過ぎなかった。「時間は有限である」という事実は、タイムリミットが見えてきた時になって、やっと実感として伴ってくる。いつの間に私は時間と対立してしまったのだ?

時間が私の味方から敵に少しずつ立場を変えていく中で、おちんちんの用途をおしっこ以外に知らなかった小学生の私は、少しずつ少しずつ、この社会とこの社会に生きる人間の持つ毒に犯され、最終的にもう1つのおちんちんの用途を知る事になる。

 

 

それならば子どもだった頃に戻りたくはないし、大人になって良かったとも大して思わない。なりたいのは感情のONOFFがスイッチ一つで切り替え可能なアンドロイドである。脳髄以外が機械化された鋼の肉体になりたい。

今でも時給780円の接客業で「お前、ダメだから別のヤツに変われ」と54円のアダルトDVDをレジに持ってきた人間の混じりっけなしの悪意に愕然としているのに、20年前に戻ってもう20年分、人々の新鮮な悪意と付き合い続けるのは辛すぎる。もう1度、小学生に戻って冬場に見るトゥナイト2はキツ過ぎる。いつ映るか分からない女の裸に備えて7度の室内温度の中、震えながらおちんちん丸出しで待機の20年前にだけは戻りたくないのだ。

 

 

 

 トゥナイト2が放映終了した後はランク王国のグラビアアイドルのイメージDVDランキングがおちんちんのもう1つの用途の使い道でした

 

*1:例えそんな本を読む事が無い人生であったとして、では大学時代の生活が劇的に変化していたかと聞かれれば全くそんな事は無かった

10月に見た映画のまとめです。

10月に見た映画のまとめです。

今年も11月に入り、「年末」という重く辛い2文字がだんだんと近付いてきました。

…辛い。辛すぎる。

 

地元では11月12月に入ると降雪に向けた準備を始めないといけません。タイヤをスタッドレスに変えたり、木々を冬囲いしたり。もうすぐ2mの雪を除雪車に掻っ攫ってもらわないと、出勤どころか近所のコンビニにすら行けない時期がもうやってくるのです。一昨年はあまりにも降雪が酷過ぎて除雪が間に合わず、訓練学校の授業を休んだ事もありました。

っていうか俺が土曜日曜にスコップを積もりに積もった氷の塊にブッ刺してる合間にも、練馬区に住むデブはジョナサンでホットケーキにシロップかけたりしてた訳でしょ?何なんだよコレ、オイ。何だお前?誰だお前?オイ。タダだからって挨拶も無しに俺の書いた文字読みやがってコラ。大学と仕事を辞めて新潟で雪かきしろ!みんな!

 

春からGWころに公開された作品がレンタル解禁された事もあって、レンタルショップの新作コーナーがここ最近かなり充実してきています。10月に見た映画も何とか新作映画のみに絞る事が出来て、今年初めにきめた目標の鑑賞本数に何とか届きそうです。勝手に決めて勝手に安心しています。年末に今年見た新作映画の全順位とレビューを掲載できればと思っているので、今回はとりあえず、気になった2作品だけ紹介したいと思います。

 

 

デッドプール

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解説
マーベルコミック原作の人気作「X-MEN」シリーズのスピンオフで、「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」に登場した異色のヒーロー、デッドプールを主役に描くアクションエンタテインメント。好き勝手に悪い奴らをこらしめ、金を稼ぐヒーロー気取りな生活を送っていた元傭兵のウェイド・ウイルソンは、恋人ヴァネッサとも結婚を決意し、幸せの絶頂にいた矢先、ガンで余命宣告を受ける。謎の組織からガンを治せると誘われたウェイドは、そこで壮絶な人体実験を受け、驚異的な驚異的な治癒能力と不死の肉体を得るが、醜い身体に変えられてしまう。ウェイドは、赤いコスチュームを身にまとった「デッドプール」となり、人体実験を施したエイジャックスの行方を追う。(映画.comより)

 

 

字幕版と吹き替え版で2回見てしまいました。とにかく見やすい映画なんですよ。

下ネタ多め、ヒーロー映画にしてはグロテスク、劇中の登場人物が【自身が映画の登場人物である】という自覚を持ってる、所謂第4の壁っていう概念を盛り込んだメタネタもあったりで、結構見る人を選びそうな要素を宣伝では推してるんですけど、そういうこの映画独特のエグみが*1劇中で語られるストーリーの推進力の邪魔にはなってないんですよ。

下手な映画って、そういう茶々が入る度に話が止まるじゃないですか。それがドンドンと積み重なって飽きにもなるし俺たちの「殺すぞ!」にもなるんですけど、見せる時はパシッと決めて、そこにお話を動かす上での必要などうでもいいお喋りなんで、メリハリが効いてて全然ストレスにならないんですよ。

 

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特典映像だと、この銀の大男の中に入った太った成人男性が腕を組んでるシーンを見る事ができます

 

全編に渡ってアドリブ効かせまくったライアン・レイノルズ力(ライアン・レイノルズぢから)も勿論あるんですけど、本当に気を使って魅力あるキャラクターにしてくれてるんで、デッドプールの喋りをずっと聞いていたい気持ちになってくるんです。「なんでコイツ延々と一人でボケ続けて一人でツッコミ入れてる人間なの?」っていうのが段々と分かる仕組みになってるのもまた良いんですよね。騙されて監禁されたウェイドが(デッドプールになる人です)人体実験されて廃墟のベッドに縛り付けられた時にでも、同じように監禁されたっぽい横のベッドのおじさんと、虚ろな目でバカ話してるシーンとかね。あそこメチャメチャ好きです。

 

予算もアベンジャーズとかのヒーロー映画の1/4しか無い関係か、アクションの見せ場シーンはそんなに多くない映画なんですけど、時系列を弄って興味の持続も続くようになってるし、とにかく楽しい映画でした。意外に真っ当なラブストーリーだったりするので。

 

 

シング・ストリート  未来へのうた

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解説
「はじまりのうた」「ONCE ダブリンの街角で」のジョン・カーニー監督の半自伝的作品で、好きな女の子を振り向かせるためにバンドを組んだ少年の恋と友情を、1980年代ブリティッシュサウンドに乗せて描いた青春ドラマ。大不況にあえぐ85年のアイルランド、ダブリン。14歳の少年コナーは、父親が失業したために荒れた公立校に転校させられてしまう。さらに家では両親のケンカが絶えず、家庭は崩壊の危機に陥っていた。(映画.comより)

 

ONCE ダブリンの街角で」「はじまりのうた」のジョン・カーニーの新作です。ジョン・カーニー映画を見た事ある人だったら分かると思うんですけど、この人の新作なら絶対映画館で見たいじゃないですか。なので車で新潟から長野まで県跨いで見に行ってきました。みんな、山道って知ってる?720°回転のカーブが18個連続で出てくるヤツ。

 

前2作品では主人公はもうある程度スキルがあってプロとしてやっていけそうな人物でしたけど、今作の主人公は本当にイチから楽器を習うところから始まります。

この人の映画って全部が音楽映画なんですけど、俺が好きなのが「音楽が今まさに産まれる瞬間」を、メチャメチャリアルに映し出してる所なんですよね。俺はバンドなんて組んだ事無いですけど、主人公の口ずさんだフレーズがメロディになって、メロディに詩が乗って、いつの間にか楽曲になって…っていう芸術が産まれた瞬間の楽しさ、凄みみたいなのを、監督本人が凄く尊い物として扱っているんです。なので、見てる俺も「なんか今スゴイ事が起きたぞ…」って感動してしまうんですよね。

っていうか*2このブログでも、どこにも公開しない小説めいた物を書いた時とかでも、何かが生まれた時の尊さを俺だって感じる時はあるんですよ。好きで何度も読んだ文章とかのマネして何かを書いた時、憧れに少し近付けたような気がした瞬間って今でも忘れられないし、絶対コレは俺の財産な訳じゃないですか。だから大好きなバンドのそれっぽい感じの音を試行錯誤して必死に作ってる主人公たちの心情とかも分かるし、その末で作り上げた楽曲とそれを演奏する彼らを見ると、どうしても応援してしまうんですよね…。

 

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 「黒人だから楽器なんかできんだろ」って連れてこられた黒人の子どもが映った画像です

 

この映画で起きる事って、「現実と理想のギャップ」っていう所に尽きると思うです。

主人公の身に起きる現実はどうにもならない事が多すぎて、だからこそ音楽という方法で、彼らは理想を語るんです。彼らにとって唯一「世界」と繋がる事の出来るのが音楽であるし、っていうか音楽しかないんですけど、その楽曲たちがとにかくメチャメチャ良い!ついつい身体がリズム取って動いてしまって「アー楽しいー」もあるんですけど、そういう所で「主人公たちバンドが音楽をどういう風に捉えているか」っていう所の説得力にもなっているんです。

夢を見れば見るほど自身の未熟さや、社会における立ち位置の不確かさを思い知らされる展開の連続なんですが、だからこそ演奏シーンではそこまでのカタルシスが爆発します。

 

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 舞台となった80年代のポップカルチャーとか全く分からなくてもメチャメチャ楽しめます

 

腹も膨らまなければ金にもならないのが芸術じゃないですか。でもそんな芸術を信じる意味とか、芸術がこの世にある意味とかね、そういうのを問い続けて死ぬまで信じ続ける少年少女の、すごく真っ直ぐなジュブナイル映画だと思います。ラストシーンの「すべての兄弟たちへ」っていう言葉もね、良い。イヤ、俺もそうだよ。俺も兄弟だよ。俺とお前兄弟だよ。な?2万貸してくれ。

 

という事で「デッドプール」と「シングストリート 未来へのうた」の紹介でした。2作品とも凄く良い映画だったので、見る機会があれば是非。因みにシング・ストリートのレンタル解禁はもう少し先になりそうです。

 

 霊安・ライノルズ。

 サントラ。時給780円バイトの給料が入ったら買います。

シング・ストリート 未来へのうた

シング・ストリート 未来へのうた

 

 

 

*1:っていうかそれがデッドプールっていうキャラクターその物が持ってるエグみなんですけど

*2:今コレを読んでるあなたともう2人の黒人しか読んでない

最新の後悔は何だっただろうかと思い返してみると、さっき車を運転しながら歌っていた時に後悔した「なんで中学生の頃に皆でバンドを組まなかったのだろう

どこまで行っても私は私でしかないという事は、障子紙ほどに薄っぺらなこの人生でも、もう充分すぎるほどに思い知らされてきた。


あの時、別の選択肢を選んでいれば…あの時、もっと冷静でいられたら…と後悔する瞬間が、これまで数多くの「選択の失敗」によって切り開いた道の一番先に立つ私の元に、ドシドシと毎時間毎時間襲いかかってくる。

そういう時に意識的でも無意識的でも、何かしらの防衛手段を持っているという事が、イコールで「充実した生活」である気がするし、私がそういう日に選べる防衛手段が「お酒を飲む」のみである事から、この説はかなり現実味を帯びている気がする。

ふと、最新の後悔は何だっただろうかと思い返してみると、さっき車を運転しながら歌っていた時に後悔した「なんで中学生の頃に皆でバンドを組まなかったのだろう」であった。

中学の文化祭にアジアンカンフージェネレーションのコピーバンドで校内唯一の軽音楽部バンドとして出演、その圧倒的なパフォーマンスで体育館は狂乱の渦に巻き込まれ、高校入学以降は地元のライブハウスで定期的に演奏、高校3年時にはソロでのライブもそこそこ好評を集め…まで考えたが、その想像の中に入ってたドラム担当の友達から「2人目の子どもが産まれた」というメッセージがLINEに届いていたのを思い出して「私は一体何をやっているんだ」という後悔の方が後追いで圧勝してしまった。現実の私たちは毎日お互いの家でパワプロスマブラで遊び、バレー部の女の透けブラを眺める事で精一杯の中学生活で、それで終わりであった。

 

私が「後悔」から身を守ろうとすればする程、酒を飲むしか防衛手段を持たない以上、肝臓にはドンドン負担が溜まっていく。

「ここは私に任せて先に行け!」と肝臓くんが私の心を逃してくれるのが毎日深夜2時の出来事であるが、ある日「いい加減にしてくれないか!」の肝臓くんの切実な叫びと共に、突然私の身体が膝から崩れ落ちる日が来るのかもしれない。

「やらずに後悔するより、やって後悔した方がよい」という言葉が大学生の間に流行して久しいが、コレは正しい。あらゆる人生において「後悔」という瞬間はいついつどんな場面においても、皆に平等に襲いかかってくるからである。

例えばどこかに存在するであろうフェリス女学院大学に通うHカップの女にも、「お客様」と「申し訳ありません」と発声できる2つのボタンを搭載したロボットに成り切る業務中の私と同じ様に後悔を抱えながら生きる瞬間があると思うと胸がすく想いだ。人類はみんな、きっとどこかで繋がっている。そう考えると友達に出産祝いを贈ってやる事も吝かではない。

 

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