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ノックしながら助けてくれ!と叫ぶと、出てきたのは汗だくになった半裸の中村であった。

かつて、私は子どもであった。


子ども、と言っても肉体面での話である。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言うが、ことわざだの格言だのに喜んで反応してもいいのは、企業面接での自己PRにおける2分間だけで充分だ。
個人的な話をすれば、確かに日々肉体労働に勤しむ毎日を送っていた期間は健全なる精神が宿っていたと、自身の過去を振り帰るとそんな気がしない訳でもないが、毎日何もせずに寝て過ごしていても、私は健全なる男児であったかもしれない。しかし当然の事ながら、年明けまで12時間毎日働いていた私と、年明け以降12時まで毎日眠っている私とが同時に出会う事は鉄板がひっくり返ってもあり得ない事であるので、「大人」という仮初めの姿を、社会は自己PRという形で2分間も時間を割いてくれている、という事を我々はまず感謝するべきなのである。


私は大学時代を埼玉の深谷という土地で過ごした。
しょぼくれた田舎である地元新潟に住むしょぼしょぼの高校生だった私が抱いていたのは、「大学に行けば違う人間になれる」という根拠の無い確信である。


規則正しい生活、勤勉への止む事なき意欲、学生らしい朗らかな男女関係といった「好奇心に満ち満ちるハツラツとした清貧大学生」という理想を夢見ながら、家賃28000円ロフト1畳付き5畳1間という中途半端な作りのアパートに、少ない荷物と共に転がり込んだ私が数か月後に目にしたのは、数週間洗わず履き続けた結果、消耗に次ぐ消耗である日突然四散したトランクスの残骸、田舎から送られてきたものの、どう処理していいか分からないまま放置した末に50cm程の芽を伸ばしたジャガイモの山、そして「元々が自分にも他人にもぐうたらな人間が実家から離れてしばらく一人で生活すると、住所が変わったぐうたらな人間が一人増える」という、揺るぎなき根拠のある確信であった。2度と揺るぐ事ない確信である。


どんなに遠く遠くへ行こうとも、「『生活能力なし』を言語を交わさずに伝えるのならばコレ」の部屋の光景が、私の心の深い深い所に根差している。流石にこのままではダメだ!と、数少ない学友であった中村という男の部屋に「俺を助けてくれ!俺から!!」とドアをノックし叫ぶと、出てきたのは「大学支給のPCが熱を持って部屋の温度が40℃近くになるからあまり酷使させない方がいいよ」と言いながら汗だくになった半裸の中村である。


中村は料理も上手く、整理整頓も出来る男で、学業も生活スタイルも良好な好青年であったが、熱中し過ぎるととことんのめり込んでしまうタチと、遺伝なのか当時10代にして前頭部の頭髪の抜け落ちが活発なせいで(恐らく後者が大きい要因なはずだ)友人関係が希薄な男であった。私が連絡もなしに突然来訪しても、多少寂しい頭髪を撫でるだけで、心良く迎え入れてくれる善良なハゲである。
だが、この日は様子がおかしい。聞くと24時間ぶっ続けで風呂にも入らず論文を書いていたと言う。蒸し風呂の様な部屋で、互いに半裸になりながら風呂に入らず脂まみれになった薄らハゲとキャッキャと遊ぶ勇気は私には無かった。中村と同じくして交友関係が非常に狭かった私は「このままではいけない、このままではいけない」と思いながらも、基本的にはそういう閉じた生活の中で4年間を過ごしたのである。


私が望んでいたのは「人間として変わるチャンス」であった。
大学に行けば、違う人間になれると信じていた。
日々生きる事で、人間として成長していく実感がどこかできっと感じられると信じていた。
年を重ねれば、映画や小説の様に劇的な瞬間が向こうから勝手にやって来てくれると信じていた。
その時に私が手にしていたものは、善良な頭髪の危うい学友、野菜室の腐った水菜、大学とバイト先までの定期キップ、3日洗ってないバスタオルで、もうほぼほぼ全てであった。


かつて、私は子どもであった。
子どもといっても、肉体面の話である。
「塵も積もれば山となる」と言うが、そういうことわざだの格言だので喜ぶのは企業面接の自己PR2分間で充分である。
中村は卒業間近の大学4年の秋、「卒論で忙しくしてたら一気に来た」と、坊主にしても誤魔化しきれなくなったM字ハゲを泣きながら撫でていた。塵を積まずとも、山は一気に来るのである。そして、そういう風に大学時代を振り返る私は、確実に身体は大人で頭脳は子どもなのである。