そこでは小柄で鼻にかかった様な甲高い声が素敵なお姉さんがよく店番をやっていた

ハンバーガーというのは元々、遊牧民タタール族が筋張った馬肉を食する際に食べやすく挽き肉として加工したのが始まりであったという。彼らは遠征時、乗用としてだけではなく食用にもする為、多くの馬を引き連れ草原を闊歩していたそうである。食事の際はその馬の肉を細かく切った後に袋に入れ、自分と馬の体重で押しつぶしてから味付けされ、食卓に並んだらしい。


「しかしこの後どうやってハンバーガーが世界中に広まったのだ」だとか、「このタルタル族の馬肉を味付けする際の調味料は何なのだ」だとか、「『つい先ほどまで共に旅してきた馬を人間の顎の軟弱さの為だけにえげつない方法で加工する』というのは私の様なバンプオブチキンのアルバムに収録されているおふざけボーナストラックを聞いただけで体調を崩す様な繊細な人間がタルタル族にもしいた場合はどうなっていたのだ」とかは、分からないし知らない。


私が持ち得る情報というのは精々wikipediaから読み取れる文字列くらいであるし、かといって私に分かる事といえば「ミンチにした馬肉を日頃食う様な生活に耐えさえすれば遊牧民の仲間入り、そして漫画『乙嫁語り』の様に肩幅がヤケに広い20歳の花嫁が嫁ぎに我が家に来訪、私は12歳の男児に瞬く間に戻り、とんでもなく細かな描き込みの絨毯に1日中寝転んで過ごす事になる」程度でしかないが、しかし残念ながら私は馬に乗った事も無ければ「高学歴のHカップに騎乗位されたい」と、逆に馬にされる事を願い続けている逆乗馬未体験者である。
そんな私の住む我が家にやってくるのは、決まってNHKの集金か宗教の勧誘だけであり、ならばせめてと昼寝をしてみても夢から覚めれば8歳の夏休みに戻る事も勿論無く、私はいつまで経っても実家暮らしの26歳のままであった。


乙嫁語りの舞台であった中央アジアから極東に位置する現代日本においては、ハンバーガーは最早国民食といっていいほど広く流通し、誰もがいつでも安価で口にする事が出来ている。
私もこのブログを書いたり勉強したりする為にハンバーガーショップにふらりと立ち寄る事が多々ある訳で、勿論そこでハンバーガーを食べる機会も多い。中途半端な時間にふらりと立ち寄り、少し重めのハンバーガーを注文し食べる事が私の密かな楽しみでもあった。


その店は10人程入れば客席が全て埋まってしまう程の広さの店である。
私はもう通い始めて2年程になるが、小柄で鼻にかかった様な甲高い声が素敵なお姉さんがよく店番をやっていた。所謂アニメ声というヤツである。彼女はどちらかといえば美人というよりkawaiiタイプであったが、よくカウンターの裏で新人と思われる後輩男性アルバイトを厳しく叱責している様子を何度か見かけた事がある。人は見かけによらない物だ。


彼女は真面目で自分に厳しい人間なのだが、その厳しさを他人にも求めてしまう人間でもある。
「あのフニャフニャした声で罵られるのがたまらない」などと宣い、彼女に叱責されたいが為に列を作って業務上のミスを積み重ねていく男子店員たちの相手を適当にこなす毎日の中で、彼女が唯一安らげる瞬間といえば、バンズに挟むパテに火を入れる、その時である。


熱された鉄板の上で、少しずつ少しずつジュウチリチリと脂と脂が弾け合う音が響いていくその様子を見守りながら、彼女はニヤニヤと笑みを浮かべる。それが彼女には動物たちの最後の命の咆哮、断末魔の様に感じられた。
しかしついこの間から、彼女は販売用のパティだけでは満足ができなくなっていた。「牛や豚以外の肉は、鉄板の上で一体どんな音を奏でるのだろう」。彼女の欲求の対象は、より大きな物に、より身近な物に変わっていった。


…彼女が今日、いつもの様にカウンター裏で後輩店員に指導する際の、その目付きに寒気を覚えたのは私だけだっただろうか。あの目は他者をもう「人」とは見ていない。そういう目であった。
私はこの店に2年ほど通っているが、最近、あの失敗続きだった男子店員の姿を見ていない。私の目の前に彼女が笑顔で置いていったこのハンバーガーは、本当に牛や豚の肉なのだろうか?カウンターの向こうから、彼女はじっと私を見ている。パティを焼きながら、彼女はじっとこちらを見続けている。


などと私は存在もしない後輩男子店員の安否を気遣いながら、そしてアニメ声女性社員のエピソードを捏造しながら、今ハンバーガーをパクパク食べている。(フィッシュバーガーだから何の肉でも大丈夫だ。)
レジで注文する時に件の女性店員が手を握ってお釣りを渡してくれた際は「俺は騙されないぞ!」「何も気付いてないぞ!」「何の肉でも騙されたフリして食うぞ!」などと勝手に覚悟したりして遊び、私は言いようのない満足を感じた。ハンバーガー代300円かそこらのお金でこの充実感。素晴らしいコストパフォーマンス。永久機関は我々のすぐ近くにあったのだ。


ただ言っておきたいのは、金か遊び相手がいるのならこんな事はしたくない、という事である。っていうか書いてて気づいたが、こんな事を延々と妄想しながら2年間もこの店に私は通い続けたのだろうか?…何だか300円で帰るのが申し訳ない気持ちになってきた。