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挨拶というコミュニケーションのスタートをしくじった時の対処を2秒、3秒、4秒

挨拶が苦手だ。


バイト先に到着した時の「おはようございます」、パートのおばさんが休憩から帰ってきた時の「お帰りなさい」、タイムカードを押して帰る時の「お疲れ様でした」「お先に失礼します」などなどなどなど。儀礼的な習慣がいつまで経っても儀礼的な習慣にできない。
パートのおばさんは私に気付かず離れた所で作業をしてるが、それを中断させてまで少し大きめな声を出すべきなのか?
最初に挨拶した後にロッカーで着替えてまた売り場に出てきた時には、最初と同じテンションでの挨拶で合ってるのか?
挨拶があちらに聞こえなかった時は、もう一度声を掛けた方がいいのか?聞いていなかったという事に、申し訳なさを感じさせてしまうのではないか?


挨拶というコミュニケーションのスタートをしくじった時の対処を2秒、3秒、4秒と考える間にだんだんと「挨拶のできない子」の烙印が、今にも押されんと額に少しずつ近付いてくる。
肩幅の広い大卒5年目社会人が言いそうな「考える前にとにかく実行!」を遂行しないと人間として扱ってもらえない、挨拶という制度が苦手だ。


小学生だったころ、家が学校に近いという理由で何度も校門でやらされた「あいさつ当番」(お嬢様になりきり自慢のブロンドをドリル状にして黒のボンテージを装着、ムチを持ちながら構え、俯きながら登校してくる小学生に向かって『あら、ご挨拶ね!』と手の甲にパチーン!とやる。それがあいさつ当番だ。嘘だ。普通に体育の先生と登校してくる児童たちに大声でおはようございます!と叫ぶのが、ここで指すあいさつ当番だ)の時も「あっアイツは僕が給食当番で汁ものを配る係だった時に、クラス全員の味噌汁に具が全然入ってない事に多いに怒り大声で『下手くそ!』と非難してきたデブだ…ここであいさつしたら嫌そうな顔をするんじゃないか…嫌だ…」と遠慮してる内に玄関に入ってしまい体育の先生に「ギロリ」とサボるなの目線。
と、次にふっと目線を上げると「あっ隣の席の飯橋さんだ…給食の時にデブに怒られて凹んでる僕に『もののけ姫でサンとアシタカがキスしてたけど、アレって2人とも両想いだったのかな』って話しかけてくれた飯橋さんだ…飯橋さんは勉強もできるし運動もできるしかわいい…アレは嬉しかったな…でもここで声なんか掛けたらクラスの奴らに付き合ってるんだろとか冷やかされるのかな…嫌だ…」と熟考してる合間にとっくに飯橋さん玄関に入ってて体育の先生ムチでパチーン!!


…そうやって「挨拶してもいいタイミング」を探ってる内にブッブー時間切れになっていた事がこの頃から多々あった。
自分勝手に「今日はそっとしておいてほしい」とか「朝から暑苦しい人間はちょっと」とかそういう事は言うくせに、挨拶を少ししくじっただけで「そんな事も出来ないなんて!」ってプリプリ怒り出す人間がたくさんいるから、基本的にはヒトは情緒不安定なんじゃないかと思う。朝の挨拶時だけは相手の心情を敬うデリカシーさは不必要だとでも言うのか。そんなバカな。


っていうか、何故いつでも「挨拶される方」が若干上の立場にあるのだろう。「今は挨拶されても快くお返事できるタイミングですよ」のサインを、私が挨拶する人間には出してほしい。
私を見かけたら考える隙を与えずにすぐ「おはよう!」と挨拶してくれるとか、挨拶を返してほしくない時は烏帽子と笏を持って語尾を『おじゃる』にするとか、もうすでに挨拶し終わった人は顎を外して『済』とするとか。
きっと「挨拶は考えるよりすぐ実行!」の『考える』パートでこんなブログを書いてる私にはどうしようも出来ない問題だ。『すぐ実行!』できる皆さん、何かしらの「挨拶不得意チーム」との住み分けを実行して頂けませんか。朝はボンテージ着て鞭をブンブン振り回すとかいいと思うんですけど。