健全な新潟産まれの成人男性はパチンコ屋に週6で行き、月12で風俗に通う

この人生で「足りない物」が多すぎる。



例えば、集中力。
「集中力さえ私にあれば」と後悔しなかった日が無い。集中力さえ私にあれば、幼少期から何かしらのスポーツに打ち込み、テスト前になればしっかり勉強。目の前にある物に全身全霊をかけて努力し、挫折し、青春らしい青春を過ごすことが出来たはずだ。



更に、読書さえ趣味にできればコッチの物だったろう。我々新潟産まれの人間には、例えば「映画を座って2時間見続ける集中力」を持った人間は全くといっていい程存在しない。更にそこが田舎と来れば尚更だ。「たかが新潟」「たかが田舎」と舐めてはいけない。外で歩いているだけの散歩するオジサンが昼間に発見されるだけで「先ほど外を歩いている不審な男が目撃されましたので、これから下校する児童たちは充分用心して真っ直ぐ帰る様に」と各地の小学校でアナウンスされるのが『新潟の田舎』である。



「田舎特有の恐ろしさ」が私のような産まれながらのシティボーイに「ハイタテキ ハイタテキ」の鳴き声と共に猛然と襲い掛かる。健全な新潟産まれの成人男性はパチンコ屋に週6で行き、月12で風俗に通う。そしてモンテネグロ人の女と寝たことを「コレがホントの国際交流!」などと居酒屋で唾を飛ばしながら自慢げに語り出し、私の様なもさっとした青年の精神を摩耗させる事でしか「勝った」と他人を見下す事はできない。では女はどうかといえば、女も女で娯楽があまりに無いからだろうか、「避妊する」と「避妊しない」のセットを永遠に繰り返す事でしか時間を潰す方法を知らない。私が20歳であった時に行われた小学校の同窓会も、クラスの女子の1/3が子供をすでに孕み、もう1/3は水商売勤務であった事は、私の貞操観念という貞操観念を多いに揺るがした。もうコレは低層観念と言い換えても良いだろう。



「ジッとしてる」という事が尊い物として扱われるこの環境では「読書が趣味」と言えるだけで、もうそれは財産であった。幼い頃から宮沢賢治を好みさえすれば、小学校では図書委員を務め、エスカレーター式にそこそこの普通科高校に入学は確定的、大学では都内の私立大学にその他学生と同じ様に「何となく」で入学、在学中に公務員試験の勉強をしつつ大学近くの古着屋で働く1つ年上のフリーター女子と付き合い、そしてどんなに小さく見積もっても今頃はbjリーグアルビレックス新潟BBの運営スタッフ兼助っ人外国人の身長213cmを誇る超大型センター、クリス・ホルムの通訳くらいの職には就けていたはずである。



思えば、私の幼少期は周りに本がある様な環境では全く無かった。一度だけ、父親が本を誰の誕生日でも記念日でも無いのに私になんの前触れも無く買ってきた事があったが、(何故か挿絵とか一切ない原作の「西遊記」9巻だけ。1ページも読まなかった。)それもどうせ『友達の中で一番家が大きかったから』とかそんな理由で結婚したのだろう、私の母と獣の様なセックスをした時に、ふと「アッ」「息子に本を読ませよう」「アッ」と思い立ったが全く自身に学が無い事に本屋に立った時に始めて気付き一気に面倒臭くなったが上のプレゼント、とかそんなんであったはずだ。つまり、私が「家族の影響」で本を読み始める可能性は皆無だったのだ。



そんな私の家庭環境で手に入れたのは、「なんとか1人遊びを成立させようとする」という悲しい『想像力』であった。



ゲームもおもちゃもなかなか買ってもらえないので、ある日はゲームのパッケージだけを座敷に並べて脳内で擬人化、片手に持ったトランプカードを『戦闘力』に見立ててトーナメント戦を開催、またある日は死ぬほど嵌ったパワプロ9のサクセスで作成した選手に脳内で物語を作成、総勢64人にも及ぶホームラン競争での勝ち抜き戦を行い、時には実在のプロ野球選手と『憧れに勝つ』というテーマで対戦、時には甲子園で共に戦い抜いた戦友同士のベスト16をかけた戦いでの『COMピッチャー疑惑の失投から始まる「友情の終わりと裏切り」』など、父から貰ったコピー用紙を全てありもしない大会のトーナメント表表記で埋めつくすなどして、自慰を覚えるまでの時間潰しをしたりしていた。



(因みにゲームパッケージを擬人化させる遊びでは、私の好きなゲームをどうしても勝たせたかったので、大好きだった「マリオカート64」と、買ってまあ楽しかったけど『思ってたのと違う!』とずっと言いたかった「ウッチャンナンチャン炎のチャレンジャー 電流イライラ棒」の対戦なんかでは八百長どこの騒ぎでは無かった。電流イライラ棒がリンチの挙句死んだ回もあったし。)


確かに、楽しかった。そういう脳内での遊びが、今の生活において何かしらの良い影響を及ぼしている時もあるかもしれない。



だが、私の欲しかった『集中力』はこんなんでは無かった。昔から『学』に触れる機会さえあれば、もっと学のある、インテリ風の、左利き雰囲気イケメンちょいパーマ絵が上手オシャレ眼鏡着用ベース弾き村上春樹好き大学生が持つ『スマートさ』に、少し近付けていたかもしれない。



私の心に深く根付くこの「スマートさの欠片も無い気持ち悪い方の集中力」で、今日のブログは書かれている。また、ブログを書いたり本を読んだりする時に使うモスバーガーも、連日連夜行き過ぎたせいで店員のオバサンに「またあの気持ち悪い成人男性が来たわよ」と裏の厨房で笑われる様になってしまった。確かに気持ちは分かる。2時間もずっといるのに落とす金はジンジャーエールMの210円だけだし、1時間くらいするとアホだから蒸れるのか、その気持ち悪い靴を脱いで気持ち悪く椅子の上で女座りしだすし、だいだいその姿形からして気持ち悪い。集中してる姿も気持ち悪いのだろう。



善良な方の集中力さえあれば、ちょっと遠めの喫茶店をはしごして無駄な出費をする事も無かった。座敷でゲームのパッケージだけを何時間も凝視して母親に気持ち悪がられている10歳の私に、今日のコインパーキング代を請求したい気分でもある。「15年後のキミも、ブログを書いて1人遊びをせざるを得なくなってるよ。友達が2人しかいなくなったからね。」と言えば、泣いて逃げるのだろうか。