読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

遊ぶ金欲しさに、私は自らの1時間をバイト先に750円で買い叩いてもらっている

このブログは基本的には「私が今何を考えているのか」という事を記す場所であるべきだ。私は後悔しているし、反省している。「お前の『後悔』しか無かった人生で、今更『実は後悔している』なんて、ウンコが『俺はこのままウンコとして便器に流されるしかないのか』といらない自我を持ち始める様な物だ」と皆様方は思われるのだろうが、今回ばかりは目を瞑って頂きたい。


前回のブログで、「インターネットにおける私と現実における私との人格の剥離」という事を書き始めたはずが、いつの間にか国指定文化物級大傑作漫画である原作遊戯王を、まるで馬鹿にするかの様な書き方をしてしまった。私はこの事を反省している。マズい。こんな事ではいけない。


どんな人が見ているか分からないのがインターネットである。PSPの粗い画質で見るデッドオアアライブのビーチバレーゲームで簡単に勃起してしまう様な遊戯王大好き小学生が、その生涯で一番最初に見たブログが私のブログである可能性もあった。A型肝炎で病院に担ぎ込まれて1ヶ月、久しぶりに最愛の娘と対面、一緒に肩を並べてネットサーフィンをしながら覗いた液晶の先が、私のこのブログである可能性もあった。


自分の考えを記すだけなら、誰かを貶したり、傷つけたりする必要は全く無いのである。ここは匿名性高いインターネットなのだから、誰かの視線を気にする必要はない、と貴方は言うかもしれない。だが、違う。これは私の意思の問題だ。私の責任の問題だ。どうか見ていて欲しい。どうか信じて欲しい。悲しい気持ちになったり、嫌な気持ちになるよりは、幸せな気持ちになりたい。勿論、私だってそう思っているのだ。





金が無い。

クソがつく程金が無い。どうなっているんだこの世は。おかしいじゃないか。金が無い。

もう一度言おうか?金が無い。改めて言わせてもらえば「金がない」。毎週毎日毎秒が金欠気味だ。



私は趣味で仕事をやっている訳でも、心と人生に彩りを持たせる為に働いている訳でもない。では何の為か?勿論金の為である。


バイトでレジに立つその瞬間でも、お客様の笑顔より100円玉の方が魅力的に見えるし、店の売り上げより、「自分は今月あと何回モスバーガージンジャーエールMが飲めるのか」という事の方が気になる。もしお客様の眼球に500円玉が嵌っていたとしたら『店の評判なんぞ知った事か』と赤の他人の目に指を突っ込む事だってできるし、帳簿に記される今月の売上が『ジンジャーエールM ○杯分』という換算方法であった方が『よし やってやるぞ』という気分になる。


遊ぶ金欲しさに、私は自らの1時間をバイト先に750円で買い叩いてもらっている。この事から、私の1時間はモスバーガージンジャーエールM3杯半分に相当する、という事が分かる。だがそんな事はどうでもいい。私は金が欲しいからだ。『もっと健全な時間の使い方というのがあるのではないか』『自らの1時間をもっと将来の為に使っていくべきではないか』という考えに屈する事は、当分無いだろう。多くの人がそうである様に、私もまた『お金がないんだから仕方がない』という理由で、色んな物を見て見ぬフリをするのだ。


件の「色んな物」の中には、「金を稼ぎ金を消費し続けるという事に、一体何の意味があるのか」という根本的な疑問も含まれる。金を稼ぎ、ジンジャーエールMを購入する事で消費し、また次の月に金を稼ぎ、奨学金を返済する事で消費し、そのまた次の月に金を稼ぎ、美容院で『お仕事は何をされているんですか?』と聞かれ、どもりながらの言い訳をさせられてからカット代3500円を消費する。…一体、我々は何をさせられているのだろうか。義務の様に働き、義務の様に稼ぎ、義務の様に消費し、義務の様に娯楽を楽しむ。


…地獄である。100人が100人、「コレは何ですか」と聞けば「地獄ですね」と答えるだろう。100人が100人、「コレは何ですか?せーの!」「「「じごく~!!」」」と打ち合わせ無しに声を合わせる事だって出来るだろう。そして100人が100人、この意味が全く分からない消費の連鎖を、見て見ぬフリして日々を過ごしているのだろう。


金を『稼ぐこと』と『消費すること』の無限の螺旋に陥っている我々の生活。こうなると「地獄に生きる我々が金を消費している」のではなく、「金という概念があるからこの世が地獄になってしまったのでは?」と思わざるを得ない。では、どうやったらこの地獄から抜け出せるのか、というと、それもやはり『金の力』であるのだろう。いつでもどこでも好きな物が買える、残金など気にせず、貯蓄の心配もせず、それでいて毎月毎月使いきれない程の金が口座に振り込まれて行く…。無意識に金を消費できるレベルの収入があれば、それは恐らく容易いのだ。毒を持って毒を制すとは、正にこの事だろう。


だが、あらゆる場面でケチで、貧乏性にならざるを得ない「フリーター」という生き物では、生活においての『金』の存在感たるや、トップ下にドンと構えるフィジカルモンスター如く威圧感すら放っている(イラク戦頑張ってください)。例えばお客様の眼球から抉り取った500円玉で何が出来るのかと聞かれても、私の脳髄では「セルフ洗車で機械に車をていねいに洗ってもらう」しか思い付かない。


光沢を取り戻したフロントガラスを目印にして空から美少女が降ってくるはずも無い。アニメでは地面に着くか着かないかのギリギリの所で急に落下スピードが落ちて、主人公が抱っこして受け止めてあげるという演出をよく見るが、受け止めるのが軽自動車だと、何か普通に轢かれそうだ。


「ウワーン就職全然決まらないよー」「アラ貴方、車のフロントガラスが綺麗ね」「あっハイ」「私の家に婿に入りなさい 私、車のフロントガラスが綺麗な殿方が好みでしてよ」「払って良かった500円!」みたいな、進研ゼミ亜種版の展開も多分この先無い。原作遊戯王の新刊なら500円で買えるか?本屋の棚から遊戯王を取ろうとしたら、隣に立っていたHカップフェリス女学院女子が遊戯王新刊に伸ばした手と私の手とが触れ合って、そこからフェリスの恋を始めるか?イヤ、遊戯王が好きな女にロクな人間はいないだろう。却下。無し。