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呼ばれたのに「本当に来たの」

「闇とトモダチになるんだ・・・」と真っ暗闇の中、瞳孔が開いた目で呟いた記憶も全く無いのだが(もう一人の『ボク』に記憶が乗っ取られていなければの話だが・・・)いつの間にか、すっかり夜型の生活リズムが身についてしまった。朝方眠って、昼前に起き、お昼ご飯を食べた後アルバイトに向かい、深夜前に帰宅し、朝方また寝る。どう考えても不健康な生活を送っているはずが、何故か朝7時に起き学校へ登校していた高校生時代より遥かに体調が良く感じる、というのがまた考え物だ。コレはもう、体がもうこの生活に違和感を感じなくなってしまっている、という事の何よりの証拠ではないか。


例えるなら、自分の加齢臭の臭さを、常日頃「自分」という臭い大気を吸っているせいで鼻が完全に馬鹿になり、臭さを全く感じなくなってしまっているのとほぼ同じだ。朝に起きて夜眠る生活を「善」と捉えたい、臭い物を「臭い!」と言える大人でありたい。どれだけ加齢臭を漂わせる様になっても、どれだけ前髪が後退しても、歯が真っ黄色、歯槽膿漏になろうとも、違和感を違和感と感じられる人間でいる事が出来るのならば、その程度のハンデ何でも無い。歯が全部無くなろうとも、「おへ、はがなんもねへぇ!」という気持ちさえあれば、この現代社会の荒波も何とか生きていけそうな気がする。



そんなんだから(何が「そんなんだから」なのかはそちら側で思い出してみて下さい)「夜」という物への憧れみたいな物も、気付けばとっくに無くしてしまっていた。子供の頃の私は、大人といえば「夜遅くまで起きていること」だと思っていたので、眠気で気絶寸前という所にいくまで暗闇の中「とんねるずの生でダラダラいかせて!」だったり「とんねるずの皆さんのおかげです」を訳も分からず両親と一緒に見ていた記憶がある。「みんな笑っているから」という理由で母が喜ぶかと思い、番組内のコントであった「とんねるずがゲストの女優が履いていた、という設定のパンツを思いっきり嗅いでぶっ叩かれる」の真似をして母のパンツを頭に被りかけた私を、父が徒手空拳で顎に衝撃を加える、という一幕もあったが、それでもしムラムラ来た父が、私がやっと眠った後に母と妹を作っていたと思うと、「自分のやった事にも意味があったのだな」と感慨深い物さえ感じる。


もう一つ覚えているのは、夜眠れなかった日とかに、母に車を出してもらってドライブに連れていってもらった事だ。夜の街というのは、私にとって「日常からの解脱」の象徴みたいな物だった。いつもいつも変わりばえしない毎日が、「夜」というフィルターを通して見るだけで、まるで街その物が生まれ変わったみたいに感じる事が出来たのだ。随分簡単な造りの心だな、とは今になって感じるが、その頃は家の灯りも、街灯の灯りも、通り過ぎていく車のヘッドライトの明るさも、闇に響いていく虫の鳴き声さえも「ココは暗い」というだけで全てが新鮮に思えた。(母にとってはいい迷惑だっただろうが)

「夜に自分は起きている」という興奮と、ちょっとした罪悪感と、他の子どもとは自分は違うんだという優越感で、一度急にテンションが上がって車の中で独り言をずっと大きめの声で言っていたら、その時に限って母と変わって運転していた父の徒手空拳でこめかみに衝撃を受けた思い出もしっかり残っている。もしかしたらその衝撃で『もう一人のボク』が産まれたのかもしれないし、ヤミとトモダチになる為の第一歩がそこにあったのかもしれないが、今の私の自我が続いている内に、今日はここで終わらせたいと思う。