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未来という街角で会おう

「未来の自分」を想像するのが子どもの頃から苦手だった。今となっては「就活に失敗したから」「フリーター生活ももう1年になるから」「辛くなると水で薄めた氷結グレープフルーツ味を泣きながら何ℓも飲むから」などなどの理由で「未来」という物に自分は苦手意識があるのだな、と何となく自覚はあるのだが、まだまだ未来に希望を見る事の出来そうな幼少期からそんな風に思ってたのは、はて何故だろう?と今になって思い立った。



5歳、6歳の頃からドンキーコングで気持ちの悪い敵キャラをローリングアタックで殺したり、桃太郎電鉄で気持ちの悪いスリの銀次に全財産の半分を唐突にスラれたり、マリオRPGで気持ちの悪いヒゲ面の親父で世界を救っていた私は「ぼくもこんな気持ちの悪いキャラクターが登場するゲームを作りたい!」と思い、将来の夢は「ゲームを作る人」だった気がするが、それも周りの他の子ども達の「プロ野球選手になりたい」とか「アクセサリー屋さんになりたい」とかと比べると何となく劣っている様な、暗い様な夢である気がして、あまり考えない様になっていた。



それ以来は良く作文とかで「将来の夢」を書かされる機会はご存知の通りドンドン増えていく訳だが、その度に本当に困ってしまって、「ゲームを作りたいなんて笑われるんじゃないか」と思い、毎回「普通の人」とか「公務員」とか書いていた。中学校に上がったくらいの時からは本当に「ゲームを作りたい」とも思わなくなっていたから、思い込みというのは本当に怖い。それも高校進学の際に、希望していた普通科学校の偏差値にギリギリ届くか届かないか、という微妙なラインにいた私を、五分五分くらいの確率で私立に行かせて高いお金を払うのはビビったのだろう親の「少し偏差値を落として情報科がある学校に行け」という鶴の一声で進学した工業高校で他のクラスメイトのプログラミング技術のレベルの高さに打ちひしがれて、完全に諦めたから、まあ時間のかかる「夢への諦め」の工程だった。



トラウマになっているのは、何かのサイトで勢いで書いてしまった「1年後の自分に何かメッセージを書きましょう!1年後のこの時間にそのメールがあなたに届きます!」という企画。1年もすれば本当に書いた事も忘れてしまう物で、その日はアルバイト先のオープン何周年だかの忘年会で、まだ未成年だったはずの私は先輩に強い酒を飲まされ、他の示し合わせられた同僚たちと10人くらいでジャンケンをしたら私だけがグー、他の皆全員がパーという完全な茶番の罰ゲームでお猪口1杯分くらいのカラシを一気食い、結果3時間くらいあった忘年会の2時間30分はトイレで過ごす、という見世物にされ帰ってフラフラになりながらメールボックスを開くと、おやおや、見慣れないアドレスからメールが。「久しぶり!」「元気?」「彼女はできた?」「就活は順調?」「アルバイトは辞められた?」「体調には気を付けて!」・・・ああこれで私は死ぬのだ、と本気で心臓をギュッとしてしまった。



元気じゃないし、2時間半トイレにいたし、彼女も出来てないし、就活も鳴かず飛ばずだし、アルバイトも辞めれてないし、一番ハードルの低い「体調に気を付けて」のお願いも叶えれらていない。多分1年前の私に今の現状を見せれば「元気じゃないし、2時間半もトイレにいたし・・・」でもう泣き出しただろうな、とその時思った。叶えられない夢は持つべきでは無いな、とも感じた。