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スクラムを自由が組むかの様に

せっかく夏なので水泳の話。


僕はとにかく水泳が嫌いだった。夏といえばプール授業が小学校の体育では必ずやらされる物だが、そこにロクな思いでが無い。20歳を超えた今でさえ、プール授業といえば、否応なしに体育教師に僕の頭を掴まれて水面に叩きつけられ、大爆笑している色黒の教師の手の下で「オボオボオボ...ボヘァ...!!!」と溺死寸前まで遊び感覚で水に顔を入れられるという、そんな体験は今まで一度も無いのに何となくそんなイメージが未だにある「恐怖の象徴」ことプール授業。


何が嫌いかってまず「体が思った様に動かない」。同級生達が元気に外で虫取りやらザリガニ釣りやらに熱中している間、僕は黙々と桃太郎電鉄をやっていたのでそこは仕方が無いとして、もう一つ辛かったのは「追い越される」ということ。僕はまあ有りがちな「小学生の時だけは成績優秀でその後、その時に凝り固められたクソみたいなプライドが邪魔をして中学校に入っても勉強をせずにいたら、成績がドンドン下がり挙げ句の果てに両親に『こんなはずじゃなかった』と言われる系男子」だったので、それまで桃鉄で鍛えた算数の計算や、桃鉄で鍛えた「ボンビ~社長さんには物件を売ってもらうのねん!」「ぶっけん...?なんだぶっけんって...?うる...?うるってなにを...あ、秋田の水田が!」という、貧乏神とのコミュニケーションで鍛えた国語力を最大限に駆使したことで、教室内では神童の如く扱われて、実家がそろばん屋なのに算数の時間に鼻くそを穿りすぎて鼻血を出していた御久保くんに「エスキに教えてもらえば先生なんていらねえよ!」なんて言ってもらえても、体育の前では何の特にもならず、鼻血を出しながらエヘエヘ言っていた御久保くんにあっという間に差を付けられる、という状況が堪らなく苦しかった。更にクラスみんなが僕がバタ足を終わらせられれば次の工程に行けるので、ただただ無言で僕を見る、という状況にも、変に出来上がったプライドがまた邪魔をして、苦痛にも思ったし、そこに酷くプレッシャーを感じ、またそこで失敗を繰り返していた。



もう一つ嫌だったのは水泳の時間に何故か生じる「自由の時間」だ。体育の授業中、少し時間が余ってしまったので児童達に10分程プールで自由に遊んでもらうという今考えれば体育教師の授業に対するスケジューリングの甘さ、ツメの甘さを無かったことにすべく生まれた憎き時間としか僕は思えないのだが、大体泳げもしないし、友達も少ない僕に「自由に」と言われても只々困るばかりでどうしようも無かった。一度僕が余りに一人で素潜りを繰り返す姿に教師も困ってしまったのだろう、プールで遊ぶ各地のお友達グループに「エスキくんも入れてもらえないかな...?」と聞いて回っていたのを見た日から「自由の時間」にも嫌なイメージを持たざるを得なかった。


そんな思い出が水泳の授業ではあるので、朝にプール用具を持った通学中のデブの小学生を見る度に「頑張れ、お兄さんは応援してるぞ」という気持ちで一杯になってしまうのです。まあそういう時は「安心したいから泳げないデブで頼むからあってくれ」という気持ちでもあるんですけど。