この生活のどこかに非日常へと繋がる入り口が必ずあるはずだと、私はかなり長い間信じていたし、未だに心のどこかでは諦めていない様な気もする。

来店する度に「店内お客様キモい人ランキング」の電光掲示板に『NEW!』の文字と共にレジ会計時の私の顔写真が上位に掲載される事でお馴染みのスターバックスにまた来てしまった。閉店まで粘るつもりでいたが、昨日の寝不足のせいか睡魔に勝てず、いつの間にか壁に寄りかかって少しだけ眠ってしまっていた。

 

 

冷たくなったチャイティーラテを喉に通すと、喉の少し内側がギュっと絞られる様な感覚がある。 独特の後味があるチャイだが、週5のパートタイムで働いたり、足の親指の爪を巻き爪防止に四角に切り揃えるくらいしか日々に刺激がない様な毎日の中では、この違和感7不快感3の何ともいえない喉の感覚は、私に小指の爪レベルの非日常感を演出してくれる。

それが「その非日常感と、スターバックスまでの車で片道40分のガソリン代+グランデサイズ496円の出費とを比べた時に、コストパフォーマンスは釣り合っているのか」が頭をよぎったりしない事も無いけれど、もう慣れてしまった、というか考えるのに飽きたので、私は喜んで週2ペースで昭和シェルでガソリンを満タンに給油した後に喉を違和感でいっぱいにしていく。

 

 

 子どもの頃から、積極的に自分から非日常感を探していた。大好きだった戦隊モノに出てくるヒーローも怪人も、少なくともテレ朝の朝8時半から9時まで映る映像の中では、週5で朝6時40分に起きて小学校に通ったり風呂上がりに母に怒られる前に爪を切り揃えたりするだけの生活を送ってはいない。「自分はいつもの生活を送っているだけで損をしている」という感覚が強かった。

 

 

この生活のどこかに非日常へと繋がる入り口が必ずあるはずだと、私はかなり長い間信じていたし、未だに心のどこかでは諦めていない様な気もする。

小学生だった私が非日常との邂逅のため、確率的に高いと踏んだのが、「登下校の際にふとした思い付きでいつもと違う帰り道を選んだが故に怪人、もしくはそれに準じた何かしらと出逢う」だった。『ふとした思い付きで違う道で帰り、そのせいで怪人に襲われよう』となってる時点で「ふとした思い付き」もクソも無いのだが、今思うとアニメでも映画でも、そういうキッカケで主人公が事件に巻き込まれていく話が多かった事に無意識ながらも気付いていたのかもしれない。

ただ私の実家は小学校から徒歩5分で着くような立地であった為、怪人いそうルートの探索は非常に困難を極めた。なんせすぐ家に着いてしまうのである。「ちょっと道を外れて…」をやろうとしても、どんなルートを選んでも数十秒もすれば視界の向こう側にはもうすでに実家がチラチラと見えてしまっている。大声を出せば多分家まで声は届く。初めから分が悪い勝負だったのである。

 

 

それでも…と諦めきれなかった私は、学校の正門から少し外れた所に、昔図書館として使われていた廃墟があるのを知り、そしてその廃墟の裏側には獣道があるのを見つけ、更にその獣道が実家のすぐ近くの神社に繋がっている事を遂に発見した。「廃墟」「獣道」「神社」と、何かが起こりそうな予感をビンビンと感じる『ふとした時にいつもの道を外れたら…」のルートを確保する事に成功したのである。入学してから数年。私はすでに小学生高学年になっていた。

 

 

そこから、獣道の斜面がぬかるむ雨の日以外はその道を通って下校をしていたが、残念ながら誘拐され怪人に改造される事もなく*1、私が小学校卒業までにその怪人いそうルートで出逢ったのは、神社の階段下で手押し車に座って休憩しているおばあさんただ一人だった。

散歩の時間が被っていたのだろうか、私の下校時にはほぼ必ずと決まって、そのおばあさんは神社の階段下で手押し車に座り、私を笑顔で見やっていた。「こんにちは」「さようなら」くらいの挨拶をする内に、お菓子を貰った事もあった。私も小さい頃は祖母が「こんなに可愛い子は誘拐されるかもしれないからタクシーで送り迎えさせた方がいいんじゃない?」と母に相談するほどに可愛らしい子どもだったのである。こんな事は朝飯前だ。

ただ、お菓子を貰った時は、母にどう説明したものか凄く悩んだ。帰るまでに全部食べてしまおうかと思ったが、かなり早い時間から封を開けて待っていてくれていた様で、私が受け取った時にはもうすでにお菓子は全部湿気ていてた。とてもじゃないが、食べられる代物ではなくなっていた。結局家に持って帰り、母にバレないようにこっそりゴミ箱に捨ててしまった。

それから2,3か月ほど経ったころ、いつものように下校中に神社の前で手押し車に座るおばあさんに「こんにちは」と挨拶すると、珍しくこっちこっちと手招きをしてくる。近寄ってみると、手押し車から徐に立ち上がる老婆。そして私が見たのは、今の今までケツの下にしていたビニール入りの白い物体だった。よく見ると『10kg』と表記された業務用の塩。しかも×2で20kgもある大荷物。「?」が頭に浮かぶ私。すると老婆。「重くて運べんから家まで持ってくれや」。「???」が230個頭に浮かぶ私。何かしらが書かれた紙を見せながら「ここオレの住所だがら、持っていってくれや、この前お菓子やったんだから」と老婆。

 

 

パッと住所を見ても、全く見た事がない地域名で、恐らく市内なんだろうけど、どの辺の土地なのかも検討すら付かなかった。

行けない事は無いのかもしれないけど、いつ目的地に着くのかも分からないまま20kgの荷物を抱えてこのおばあさんと一緒に歩いて行くのか?でも、捨てたとしてもお菓子を貰ったことは事実で、手伝えるなら手伝いたいけど、っていうかこの人誰だ?名前も知らない人のために、自分はそこまでするのか?当時はそこまでハッキリと文にして考えていた訳ではなかったが、「人としての正しさ」と「小学生の自分にできること」と「面倒くささ」で、混乱して目の前が真っ暗になる、というのを私は小学生にして体験してしまった。

 

 

結局は、本当に偶々、実家の近所に住んでて子供会でよくしてもらっていた陸川のおじさんがそこを丁度通りかかり、藁にも縋る思いで助けを乞いた。事情を察してくれたのか、その住所に何となく当たりが付いたおじさんが、その日の内におばあさんと一緒に家まで車で届ける、という事で何とかその場は落ち着いた。陸川のおじさんには今でも迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだが、それ以来、何となくおばあさんと顔を合わせる事に気まずさを感じてしまい、その神社の抜け道を通る事は二度と無かった。一度だけ、友達との下校中に件のおばあさんを見かけ、また手招きされた事もあったが、また何か届けてくれと言われるかもしれなかったのと、友達が見ていた中での恥ずかしさもあり、気付かなかったフリをした事があった。それ以来そのおばあさんを見かける事は無かった。

 

 

何となく嫌なエピソードというか、「果たしてあれで良かったのか?」とボーっとしてしまう思い出の一つだが、あんなにも憧れていた非日常への入り口があのおばあさんの存在だったとも今となっては思える訳である。怪人に誘拐こそされなかったが、心の中の無意識の部分が、おばあさんとの会合で改造されてしまった様にも思えてしまう。

おばあさんに『この前お菓子あげたんだから』と言われた時の、「善意」と「建前」の間に挟まれ、身体が動かなくなってしまったあの瞬間を、私は大人になった今でも忘れる事が出来ないでいる。

 

 

デンデラ (新潮文庫)

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*1:読者のみなさんの「そんな!」という顔が目に浮かぶ