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それにしても「歩く」というのは何だか一歩一歩着実に自分の出来る事を積み重ねていく、みたいな堅実的な行為の比喩として使われる事もあるが

それにしても「歩く」というのは何だか一歩一歩着実に自分の出来る事を積み重ねていく、みたいな堅実的な行為の比喩として使われる事もあるが、それはあくまで文面上での印象の話だと思う。必要に迫られての移動としての「徒歩」というのは、結局は負け犬の移動手段でしかない。

人間の身体というのもまた不便なもので、例えば二日酔い、内臓が冬場の工場に放置された冷え切った鉛に全て変わってしまったのかと思われ程の倦怠感の中で布団に横たわれば、そういう時に限って身体が怠ければ怠い程反比例して頭の中がクリアになったりして、普段記憶の片隅に打ち捨てた様な子どもの頃の思い出が鮮明に蘇ったりする。神様もう2度と思考したりしませんと胸の前で十字を切っても、私に正常な内臓を返してくれる専門の神様は聖書には記されていなかった事が分かった。

そんな頭の中に響く声の一つ一つですらも苦痛に感じる程の疲労感にあっても、それに付き合いざるを得ない様なシチュエーションの一つに「徒歩」もある。

 大学生だったころ、アルバイト先の熊谷にある映画館まで、電車で通勤していた。レイトショーが終了してからの退勤となっていたので、終電での帰宅が必然的に多くなっていたが、その日は珍しく中番で20時上がりのシフトになっていたので「じゃあ早く帰ってお風呂に入ってメロンでも食べながらドストエフスキー罪と罰の続きを…」と洒落込むつもりだったが、物事という物は私の場合上手く進む事など未来永劫無いようで、高卒で映画館に就職した年下の上司に飲みに誘われ、強制的に連行されるイベントとかが起きたりする。私はこの年下の上司が苦手で、それは彼の薄く細く整えた眉毛であるとか、研修期間が解けた途端にアルバイトの大学生全員にタメ口で話すようになったデリカシーの無さとか、私が良いなと思っていた女と付き合いだしたはいいが「社員とバイトが付き合うのはちょっと…」と部長に怒られたので女にバイトを辞めさせた数ヶ月後にその女と平気で別れてしまうような節操の無さに起因する所はあったし、それに加え何故かこの年下の上司は私をどうにかして酒の席に連れていこうと必死だった。

何か企みでもあるのかと身構えていたが、奢るといわれれば着いていくしかない。細心の注意を払いながらハイボールを飲んでみれば、何の事はない結局はバイト先ですら誰とも打ち解けられず孤立していた生活圏何における最弱の肉塊であった私を相手に、自分語りと人生のアドバイスを打ち捨てる事で翌日の朝も元気に眉毛を整えられるだけの活力と優越感に浸りたいが為に、私を対話の出来る使い捨ての壁として設置したかっただけでなのであった。