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火を通した野菜と蒸した豚の肉とを酸っぱい液体で食え!などという親の態度を見る度に

思えば、騎乗位ばかりで自慰してきた。

中学時代はパソコンを持っていなかった私にとって、頭の中だけにいたHカップ美女のその腰の振りは私に明日への気力を齎せたたが、大人になった今になっても「騎乗位以外全部前戯」の精神が私には植え付けられていると思うと、もうコレは呪い以外の何物でもない。
「脱衣→軽い愛撫→フェラ→正常位」の公務員の様なセックスしか映さないAVでは到底興奮できない身体になってしまったのは、いつからなのか。



思えば、腕が折れている女が好みになっていた。

今に至るまで「俺に好意的に話かけてくる女は恋人がいるなどで精神的に非常に余裕のある女だけ」を心の深い所に刷り込まれている私にとって、頭の中だけで連載していた『魔法先生ネギま!』の出席番号15番、武闘派ヒロインの桜咲刹那と俺のスピンオフ漫画が大好きになってしまった所以の「女はボロボロで出血してなきゃダメ」の精神が私に植え付けられていると思うと、もうコレは呪い以外の何物でもない。
片目、片手、片足のない女と会えないモノかと地元中のゲオをウロウロする様な人間になってしまったのは、いつからなのか。



思えば、背の高い女を見ると烏骨鶏を連想するようになっていた。

生まれ育った地元には小学校も中学校も1校しか無く、よって9年間に渡り私の同学年には背がスラッと高い岡田さんという女子がいたが、小2の頃にクラスで飼っていた烏骨鶏に岡田さんが追いかけられている姿があまりにもブスでショックを受けたのと、高学年になると普通に見てもブスだったのを理解してしまった私にとって、背の高い女と烏骨鶏の怒張した首筋のセットを、頭の中で考えてしまうのがこれからも延々に続くかと思うと、もうコレは呪い以外の何物でもない。
今でも、もし気になっている女が動物に追いかけられるのを見れば、あっという間にクソブスにしか見えなくなってしまう様な気しかしない、そんな人間になってしまったのは、いつからなのか。



思えば、ポン酢で飯が食えるようになっていた。

子どもの頃は火を通した野菜と蒸した豚の肉とを酸っぱい液体で食え!などという親の態度を見る度に「塾に通って大学に行こう」と心に誓った私にとって、頭の中だけにいた『立派な大人像』はポン酢で飯が食えること、喫茶店に一人で行けること、外食で焼き魚を食うことが必須条件であったはずなのだが、この3つをクリアして大人になった今になっても、私の手元に残るのは危険物乙4種取扱の資格と「私が死んだらどうやって生活していくんだや」の母の小言だけというのは、もうコレは呪い以外の何物でもない。
母の小言に耐えかね2階の自室に戻ったあと、洗濯物を取りに1階にすぐ戻った私を見て母が言ったのは「バット持ってきて暴れ回るのかと思った」である。そんな人間になってしまったのは、いつからなのか。