泣きながらクイックルワイパーでオシッコを拭くと視線がそこにはあって

魂の無い物、所謂「作りもの」に意思を感じる時がある。

両親が離婚する前、高校生の頃まで住んでいた家のトイレに、首だけになったピンク色の熊がいた。
 
 
ここだけ見ると、「頭のおかしい年寄りメンヘラお得意の虚実入れ混じったメルヘン枕言葉」にしか思えないが、その頃の私は小学生だったという事もあったし、その数年後に中学に進学してから志望校だった普通高校に学力的に入学できるか出来ないかギリギリの所で、私立行きになった場合の入学金にビビった父の「お前は幼稚園に通っていた頃に桃太郎電鉄を作る人になりたいと言っていたからより偏差値を少し下げて工業高校の電気科に入れ」の大変心に残るありがたい助言を頂き進学、学校が本当に毎日嫌で嫌で本当に仕方なくて高2からは学校をサボりまくって半分引きこもりに、という経緯を過ごした『高校までの実家』の出来事だったので、そういうのを見る様になったのもまあ分からいでも…アレ、いつの間にか年寄りメンヘラお得意の虚実入れ混じったメルヘン枕言葉の全肯定になってる。とにかく、とにかくいたのだ。
 
 
ワンポイントのつもりだったのだろうか、『掌サイズよりちょっと大きいくらいのピンク色の熊だったんですけど、おひさま学級の子どもが毟り取ってブチ取っちゃったのが勿体無くて、ちょっと縫い付けてみました!』というコンセプトか、首だけになったクマさんが円状のタオル掛けの頂点にくっ付いていた。
 
 
本当に首だけのクマだったので、後ろに付いた吸盤で壁にくっつけると首を吊っている様に見えて不気味だった。
しかも真っ黒レイプ目の眼球と、不自然に上がった口角が、こんな姿にされる前は確実にあった感情の“喪失”を連想させた。
小さい頃から怖がりだった私は、あんな狭い個室に首だけになり閉じ込められ続けているクマが、「人間のエゴの犠牲となって家族と離れ離れにされ、しかも小汚ない家族の元でタオルかけとして幽閉されている」と、我々に恨み辛みを募らせているのでは…?とビクビクしながら毎日毎日便器に立っていた。
 
 
早くトイレから出たい一心で、勢い任せのオシッコを (勢い任せのオシッコって何だ??)した後、タオルで手を拭く旅に虚無の表情を浮かべるピンクのクマさんの首がブルンブルンと左右に振れるのが恐ろしかった。
15分後にトイレに入った父から「便器からはみ出したオシッコそのままにしないで拭け!!」と怒鳴られ、半泣きになってクイックルワイパーで床を磨いている時、ふと見上げるとクマの首が屈んでいる私の真逆の方向に向いているのが、逆に「今の今まで私の事を睨みつけていて、私が急に見上げたから目線を外したんだ…」と震えた。
その頃、学校の図書館にあった「学校で本当にあった怖い話」シリーズの“音楽室のベートーベンの肖像画と目があうと死ぬ”の話を丁度読んでしまった事もそれに拍車をかけた。「1畳もないトイレのタオル掛けのクマと目を合わすな」はそこそこ広い音楽室のベートーベン肖像画と比べると、ハードルがどう考えても高すぎる。
 
 
しかし、ここで家族に「クマが怖いのでタオル掛けを変えてくれ」と言えば、確実に両親が会社での昼休みの笑い話として消化されるに決まっているのだ。そういうのは母に「最近口臭いからもっと歯磨けや!!」と怒られた後に、学校での母と担任の面談を経て、担任と仲の良かったクラスの女子が私が口を開く度に鼻を塞いで見せた時にもう学習している。
私には尿道の圧や括約筋の締まりを極限まで強めて、トイレにいる時間を可能な限り短縮させる事しか出来なかった。子どもというのは何と無力なのだと、その時実感した。
 
 
そうやってオシッコを周囲に撒き散らしながら2年くらい経つと、誰の仕業なのか、いつの間にか首だけのクマのタオル掛けは無くなり、何の首も取り付いていない普通のタオル掛けに変わっていたのだが、家族の誰もその事について触れないという所も、また恐ろしかった。
自分から逃げたのかもしれなかった。
捨てられるよりはそちらの方がまだマシだ。ゴミ箱に笑顔の首だけのピンク色のクマを想像しただけで、今でもブルッと来る。
大人になった今でも、ぬいぐるみや人形が飾られていると、どうしても視線が気になる様になってしまった。
 
 
参ったのは、映画館でアルバイトをしていた大学4年生の時。
就活も忙しくなり、4年間お世話になったバイト先からの退職も近い時季で、最後の記念にと同僚の何人かで職場で映画を見る事になったのだが、その作品が「トイ・ストーリー3」だった。
捨てられた人形たちの行く末は…人形たちが死を覚悟する瞬間とは…という衝撃の展開で、正直殆ど内容が頭に入ってこなかった。しかも劇中で一番の悪役はよりにもよってピンク色のクマのぬいぐるみだ。
 
 
「私はピクサーに監視されながらここまで生きてきたのでは…トゥルーマンショー的な…」と疑いながら同僚何人かと劇場を後にしたが、直後にシフトに入っていたバイトの女から「なんでエスキさんがいるんですか?」と聞かれた。
聞こえないフリをしていると、ちょっと大きめな声で「なんでエスキさんがいるんですか?」ともう1度聞かれた。
私は「映画が見たかったからだよ」と答えた。
いつも1人でいる私が同僚何人かと遊んでいるのが相当珍しかったのかもしれないが、まさかピクサーも主役にそんなセリフを、しかもブスを介して浴びせないだろうと、少し安心した。