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とりあえず最初の履歴書を片付けよう」とテーブルに着こうとすれば、母が部屋にノックもせずに入ってきて

履歴書を書こうとすれば、「昨日読んでた本があと数十ページで終わるからそれからにしよう」と本棚に手が伸びる。
本のページを数回捲れば「録画したアニメ、HDDに空きがまだあったか?」とテレビの電源を入れる。
アニメがCMに入れば「そういえばあの映画の公開日はいつだったか」とPCモニターの電源ボタンを押している。
8MのADSLがホームページを頑張って開いてる合間に「メガテンⅣを少しでもレベル上げとこう」と3DSを手にしている。


ここでハッと気が付いて、「イヤ、とりあえず最初の履歴書を片付けよう」とテーブルに着こうとすれば、母が部屋にノックもせずに入ってきて「テレビ見ないんなら消すか電気代払え!!」と付けっ放しのテレビとモニターを指差しながら、昨日の夕飯の席で家に1円も金を入れていない事をぶり返される。


私の部屋にはテレビの『見かけ』、本の『読みかけ』、履歴書の『書きかけ』、ゲームの『進みかけ』、そして人の『生きかけ』と途中経過で溢れている。
この中で一番手っ取り早く終わられそうなのはあと数十分もあれば書き上がる履歴書だが、4時に寝て11時に起きる生活に未練がまだあるのか、青のボールペンが前職の鉄板磨きで毎日持ったヘラとホースより重く感じてしまう。『生きかけ』だと思っていた私という人間は、もうとっくに『終わっている』という事がここで分かる。期せずして一つ片付いてしまった。




就職面接でたまに聞かれたのは「人生における教訓とか、ある?」とかそういう物だ。
「大人というのは挫折が前提、反省が前提」と社会は信じている様で、過去に自身に降りかかった案件を自分なりに消化し、生きる糧として心に刻み付けながら社会に埋没しなければ賃金を受け取る権利は無いのだ!と、我々に語りかけているのが、この「教訓とかある?」の質問の本意である。

逆に言えば、そもそも人という物は気まぐれで、一つの意思、一つの哲学を貫き通しながら生きていくというのは、案外人間にとっては難しい物なのだと、社会は認めている事になる。
全ては平坦であり、社会にも娯楽にも人の怠惰にも優劣など無く、そこには『集中力のない人間』だけがいる。
槍の様な一つの意思を持ち続けるという事が人間にとって難しいのであるなら、挫折や反省というのはプラスアルファに過ぎず、色々な物に目移りしてしまいがちな人間がイコールで「大人失格」では無い。この年になっても母に怒られる私も、プラスは無いがマイナスも無いはずなのだ。


挫折好き、反省好きの社会だが、「過去に自身に降りかかった挫折案件」を社会に受け入れられる様な反省の仕方のみを評価しようとするのかも分からない。

『ボランティアでのゴミ回収』を通じて学んだ事が「自然の大切さを知りました」が良くて「母方の地元にいた一人暮らしのおじいさんが孤独死した後に家に大量のエロ本があるのが噂になって、地元中の小学生が無人の家に窓から勝手に入ってハイエナの様に群がった話を思い出した」が何故ダメなのか。

『小学生の家庭教師のアルバイト』を通じて学んだ事が「小学生の興味の移り変わりの速さに感動してそれを手助けできる教師という仕事を目指す様になりました」が良くて「人の成長とかっていうのは全部『ただ飽きた』で、そもそも人っていうのは成長しない物で皆が勘違いしてるだけのかもしれないと思いました」がダメなのか。


自身の経験さえも、自身の価値観さえも、社会が容認してくれる様な物に書き換えなければ評価されないのなら、『無い』と同義とされてしまうのなら、その記憶の価値はどこにあるのか。
その正しさはどこから現れてどこへ消えていくのか。
ならば、このブログに意味はあったか。
この記事を書く為にスタバに払った442円に意味はあったか。
2時間前にレンタルショップで返却した『巨乳痴女ナース』の延滞金205円に意味はあったか。*1


ただ何にせよ金は必要な訳で、社会に容認されなければ賃金は出ないし、飯は食えないし、母に電気代を渡せられないし、2泊3日320円の新作AVを借りる事も出来ない。社会に容認されてない人間が見る事の出来るAVといえば、ギリモザ完備前の旧作2週間84円のAVだけである。「コレって映像である必要ないんじゃないの…?」とモザイクで画面の8割が埋まってるAVで自慰する事にならない様に、金はいる。
社会にない物とされつつも、自身の価値を見失いそうになれども、自分で自分の価値を譲るという最後の一線を超えないように超えないように、いつでも気を付ける必要がある。


自身で自身の価値を捨てるという事だけは無い様に、反抗をいつでも忘れない様に生きていく。
「社会と折り合いを付ける」のでは無い。「殺すチャンスを伺っている」のだ。自分が信じられる価値ならば、死ぬ2歩手前くらいまでは譲る必要なんて無いんじゃないのか。何が言いたいかと言うと私が母に電気代を払う必要は無い。


今から家に帰れば履歴書も職務履歴書も余裕で書ける時間になるが、ここもバランスである。「反抗」のギリギリ許容範囲内にあるなら、履歴書は明日にしてスーパー銭湯にでも行くべきバランスなのではないだろうか。母も今日は夜勤だから部屋に乗り込んでくる事もないし。




楽しい。
真・女神転生IV FINAL (2016年2月10日発売)

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*1:ない