爪では無くてあのマグロのぶつを私が食べておけば良かった

恐らく誰しもが必ず1つか2つ、またはそれ以上の「癖」を持っている。
『遅刻癖』、『サボり癖』、『浪費癖』、『喋る前に「えー」とどうしても言ってしまう癖』、『虫を見るとついついピンセットで捕え足を一本ずつ引き抜いていき何とか逃れようとジタバタする虫にウットリとしてしまう癖』と、ありがちな癖というのはいくつかある。誰しもがこういった癖を治したい、でもどうしても治らない、というジレンマの中にいる。
私が大好きだった【実況パワプロプロ野球】の選手をプロ入りまで育てる『サクセスモード』ではマネージャーにがんばってるねなどと声を掛けられるイベント程度でサボり癖は解消されるが、現実はそんな簡単に『癖』を矯正してはくれない。


私の場合、爪を噛む癖がどうしても治らない。
運転中の赤信号が嫌に長い時、何となく疲れを感じた時、遊んでるゲームのロード時間、気付けば指を口元に持っていきパキリとやる。


小学生の頃はもっと酷かった。
歯ブラシの毛を噛んで引き抜き噛んでは引き抜きを繰り返し、母が新品で買ってきた歯ブラシの毛を3日で全て引き抜き『緑色の15cmほどのプラスチック棒』と化した物体が歯ブラシ立てに刺さってるのを見た父に怒鳴られた事も、1度や2度では無い。
引き抜き過ぎて歯と歯の間に引っかかった歯ブラシの毛を別の歯ブラシで掃除した事もあった。『歯ブラシ洗浄用の歯ブラシ』があったのは多分我が家だけだったと思う。


その癖を間近で見たせいか、4つ下の妹にもそれが伝染ってしまい、シャツのタグを噛み千切ったり喫茶店のストローも噛んでボロボロにしたりという事が妹にも続いた。
私も何とか矯正しようと努力し、歯ブラシの噛み癖は治ったのだが、爪の噛み癖は今でもどうしても治らない。スタイル抜群のアメリカ人のコスプレイヤーに「指がとてもキレイね!」と惚れられる事も、このままでは金輪際無い。


昔、母方の実家で猫を飼っていた。2匹の姉妹猫で、細身の黒猫だった。
「飼っていた」と言っても、実際家にいた所はあまり見た事もなく、腹が減るとフラッと立ち寄って夕飯の残りを祖母から貰い、満足するとまた外へ出ていってしまう様な猫だった。実家は寒くなると酷い時は3mも4mも雪が積もる豪雪地帯だったので、冬になれば家にいる事は多かったが、それはそれで爪研ぎなのか、襖や障子が何枚もボロボロにされる事も多かった。
ただ、祖父も祖母も好きな様にさせていたので、破けたままの襖がみっともないと母がよく祖父を叱っていた。姉妹猫の姉の方は曰く「外で泥水を啜った」のだそうで、早くに死んでしまったが、妹の方は寿命を迎えるまで飼い続けていた。寿命近くになっても、母と私と妹が実家に遊びに行った時に振る舞われた刺身の残りを、よく祖父や祖母に食べさせてもらっていた。


祖父が亡くなったのも冬だった。
祖父には大変可愛がってもらっていたので、その反動からか亡くなった直後あたりの記憶がかなり曖昧なのだが、お葬式の席で、父方の祖父がお焼香の際に自分の名前が呼ばれなかった事が頭に来たらしく、大変怒っていたのはハッキリ覚えている。
「俺にこんな恥をかかせるのか!」と、父を亡くしたばかりの母に向かって青筋を立てながら怒鳴り続けるのがいたたまれなくなった私は、祖父に気付かれない様にこっそり居間を出て、外に飛び出した。自宅から、母の泣く声が聞こえた気がした。


何とは無しにボーっと家の周りをうろついていると、軒下に妹の方の猫がいるのが見えた。私は「そうだ」と思い、葬式の前の会食で残ったマグロのぶつを台所から何切れか拝借した。ちょっと美味しそうだったので迷ったが、結局は軒下にいる妹猫の方に投げた。最初は臭いを嗅いだり、爪で弄ったりして警戒していたが、全部食べてくれた。
何だか面白くなった私は、残りの刺身も食べさせようともう1度台所に足を運びかけたが、いつの間にか後ろで様子を見ていた祖母に「あんまり沢山あげると良い物しか食べない癖が付いちゃうから止めときなさい」とやんわり窘められた。
そんなものか、と思っていると「アンタも爪を噛む癖を辞めなさい」と同じ様な口調で言われた時に、自分がいつの間にか爪を噛んでるのにその時初めて気が付いた。祖母はそんな様子の私をチラッとだけ見やると、大して面識もない男が自分の娘を怒鳴り終いには泣かせている自宅へとゆっくりと戻っていった。


思えば、私はその頃くらいから噛み癖を無くそうと意識し始めた気がする。
ちょっとした怪我で数年前に前歯の1本が半分くらい折れてしまったのだが、それでも爪を噛み続けた結果、去年の秋頃に歯の先に膿が溜まる歯根嚢胞という病気になった*1
祖母の忠告を聞かずに爪を食べまくったツケが遂に周ってきたのだ。「こんな事になるなら爪では無くてあのマグロのぶつを私が食べておけば良かった」と後悔した時には、すでに医者に前歯の神経は抜かれていた。最近、一人で街をウロウロしている時の夕飯の選択肢に100円回転寿しが新しく加入し出したのは恐らく偶然ではない。

*1:歯の治療を要する状態って「病気」っていうのか?