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卓球部はサトラレである。自分の意思とは関係なく、他者に卓球部である事が伝達してしまう。

中学まで卓球部だったと人に言えば言う程、人としての価値が下がっていく気がするのは気のせいか。
「卓球部だった」の『たっき』の部分でもう相手は「だと思った笑」と声帯が発音する準備をしている。では卓球部だという事を隠しながら生きていれば安心かというと、不思議なもので卓球部に所属していた人間はいつの間にか「卓球部顔」になっていく。何故か相手に「コイツ卓球部っぽいな」と無意識下に刷り込まれている。卓球部はサトラレである。自分の意思とは関係なく、他者に卓球部である事が伝達してしまう。卓球部は孤島でたった一人で生活していく必要がある。


しかし、分かりにくいスポーツではある。
野球部は金属バットで白球をぶっ叩いたり、バレー部は両腕を揃えてマヌケなポーズでボールを真上に上げたり、サッカー部は腕にミサンガを巻いてたりしてる合間に、我々卓球部がやる事といえば玉袋が見えそうな程に短い短パンを着させられ、小さいボールに横とか下に回転をかけて喜ぶくらいな物だったから、側から見れば「地味」だの「楽そう」だの「金玉見えてるよ」だの、どうしても球技の中でも舐められがちなポジションに属していたのは否めない。


だが、待ってほしい。
小さい球、小さい台でただ単にコソコソやってる様に思うかもしれないが、小さい台だからこそ、球を右に左に振られた時には一瞬の瞬発力が必要だし、体勢が悪い状態から相手が取りにくい場所に打ち返すだけのバランス感覚と判断力も卓球には必須だ。
卓球=楽そうな部活という偏見は捨てて頂きたい。卓球部に入部した理由が「汚れないし昨日見学に行った野球部と違って声も出さなくていいし楽」と「おばあちゃんに『球が目に当たったら失明するかもしれない!』と夕飯になる度に母に野球部にだけは入れさせるなとクドクド説教していたので家族全員疲れたから」だった私に言われる筋合いは無いと思うけど。


しかし、中学を十数年前に卒業して思うのは、「部活選択でその後の人生が変わる可能性はあったか?」だ。
振り返って考えてみると、やり直せるならばやり直したいと考える事ばかりだ。
デブの漆原くんに「部活してんだから遊ぶな!」とキレた翌日に机に入れっぱなしにしていた保健体育58点の答案用紙を「バカ!」の落書きと共に黒板に貼られる事のない部活が良かった。*1
1年生に鏡の前でフォームを教えていた時にフラッと様子を見に来た教頭先生に「オーイ、金玉見えてるぞ」と鏡越しに言われる事のない部活が良かった。
女子卓球部の方から転がってきた球を取ってやろうと屈んだ瞬間「触らないで!!」と女子卓球部長に半泣きで叫ばれる事のない部活が良かった。*2


「記憶をそのままに子どもの頃に戻る事ができたら、何をするか?」という妄想はよくする。「ピアノを習う」「パーマをかける」「ちゃんと勉強をしていい高校に入る」の次くらいに「金玉が見えない部活に入る」が私の中でランクインしている。

*1:漆原くんは卒業も危ぶまれるくらい勉強が出きませんでした

*2:多分金玉が見えていたからです