スキーが上手なのでスキーの強豪校に転校が決まっていて、どこの人なのか分からない。

よく空想する癖がある。

子どもの頃からそうだった。友達に「どうしても1日だけでいいから貸してほしい」と頼み込んで借りたゲームソフトを、何とか母親に隠し通そうとした時だ。

私の母は、物を貸し借りするのが嫌いな人間で、息子の私にもそうあってほしい様だった。もし「そのゲーム、どうしたの?」と聞かれ「借りた」と言えば怒られるに決まっている。ウソの言い訳を考える必要があった。

 

 

ただ、私はここに自信があった。図画工作の時間になる度に「下手くそな絵をみんなに見られるのも嫌だし、製作過程も見られるのすら嫌」で『仮病で保健室へ』と『家族の都合の早引き』の合わせ技で、週に2回の図工の時間の殆どをサボってきた実績が、その頃の私にはすでに備わっていたのだ。「ベニヤ板をノコギリで切って本棚を作ろう!」と先週まで楽しくギコギコやってたのが、その日になって急に「じゃあ今日は皆さんには学校の外に出て絵を描いてもらいます」と来たら、思考時間5秒で「おばあちゃんが入院したけど学校に今日来たのは家族が家で午前中いっぱいを使って入院の準備をしてたからだ!」のウソを作ってきたのが私だ。

それが今回の準備期間は、友達の家でゲームを借りたお昼過ぎから、母が仕事から帰ってくる夕方まで。難易度星1つだ。ベリーイージーだ。コンティニュー10回までOKだ。時間をかけ、考えに考えた結果、私が編み出したのは「近所のオモチャ屋で無料お試しサービスをやっていた」だ。

 

 

ただ、”言葉”だけでは効果は薄い。もっともっと、リアリティのある設定を考える必要があるが、ここで例えば「雑誌で見た」「近所の○○君から聞いた」などという証拠の提示を促される可能性のあるウソの言い訳など、私から言わせれば愚の骨頂以外の何物でもない。母の知らない人物、知らない土地、知らない情報源の入手が絶対条件だ。「先週の委員会で初めて6年生と喋った」「その6年生は名前も分からないしスキーが上手なのでスキーの強豪校に転校が決まっていて、どこの人なのか分からない」「その6年生が近所にあるゲーム屋で小学生に無料でゲームのお試しレンタルサービスをやっていたのを見た」「6年生に『今日はトレーニングがあるから1日だけゲームを預かってくれ』と頼まれた」「そして今、こうして嫌々なんだけど新作のゲームが手元にある。」…今考えると無理な言い訳だらけだ。委員会ってなんだ?小学生がスキーの強い学校に転校するって何だ?なんでその6年生はやる気も無かった新作ゲームを学校に持ってきてるんだ?っていうか6年生って誰?

だけど、当時の私は「完璧な理論だ!」と自身満々だった。これで騙せる。件の6年生は背が高くてガッシリしてて、青のシャツを着ていて、近所のゲーム屋にはかっこいいマウンテンバイクで通っていて、見たこともないゲーム機を何台も持っていて、お父さんが任天堂の社員で試作品が家にあって…ドンドンドンドン膨らんでいく架空の設定を、言おう言おうと何度も復唱し、その時を待った。

 

しかし、とうとうその機会が訪れる事は無かった。無かったのだ。

夕方、借りたゲームで遊んでいる後ろを通り過ぎても、母は全くゲームには興味を示さず、風呂に入り、私に「風呂に入れ」と命じ、母は眠り、私も眠り、翌日約束通り、私はゲームを友達に返した。私の頭の中だけにいた6年生も、不思議な委員会活動も、架空のお試しサービスも、遂に公になることなく(公も何も無いんだけど)、ひっそりとその役目を終えた。

ただ私はその後、「あんなに細かく考えていたんだから、本当にどこかで無料お試しサービスをやっているのでは?」と何故か信じ始めてしまった。どこかに私にタダでゲームを貸してくれる夢のようなゲーム屋に誘ってくれる6年生はいるのではないか。青いシャツを着た上級生を見ると、一瞬身体が強張った。どこかへ遊びに行く度に、駐輪所を覗いてカッコいいマウンテンバイクが無いか探した。実家から一番近所にあったカメレオンクラブというゲーム屋に家族に連れてってもらう度に、「お試しゲーム無料貸し出しサービスはまだ実施されないのか…」と、ありもしないサービス開始を期待してた。

 

 

先日、そのゲーム屋の前を久しぶりに車で通る機会があった。

どうやらゲーム屋自体は数年前に閉店してしまったらしく、老人ホームとして店舗だけが買い取られ利用されていた。マウンテンバイクを探しに探したあの駐輪場も潰され、新しく作られた駐車場には送迎用のミニバンが何台も置かれていた。

ただ、私はその時、車の窓ガラス越しにその店を見ながら、「なんで私にだけゲームを貸してくれなかったんだろう…?」と憤慨していて、その2秒後に「…イヤ、アレ空想だ!!」となった。私はそういう子供で、そのままそういう大人になった。