こんな声じゃなかったな…もっとこう…こう…」と脳内で今まで想像していた遊戯の声を思い出そうとする。

化物語というアニメの劇場版の「傷物語」を映画館で見てきた。私はこの化物語というアニメが本当に好きで、特に大学生だった頃に見た化物語の第1期は何度も繰り返し見る程に嵌ったし、原作の小説も買って、こちらも何度も繰り返し読んだ。この化物語の影響で私はアニメの面白さに気付いたし、他の深夜アニメにも目を向ける様になって、結果、沢山の面白いアニメとも出会う事が出来た。そのきっかけを作ってくれた化物語というアニメには、とても強い思い入れがある。


映画本編の話は置いておくとして、クセというか何なのか、アニメを鑑賞する際、ほぼ毎回違和感を感じる事がある。


声である。


原作の漫画や小説に思い入れがあればある程、アニメとして映像化された時に「◯◯はこんな声じゃない!」を強く感じてしまう。というか、1度もしっくり来た事すら無い気がする。


「アレ?え?」で最初に思い出すのは、単行本は全て揃え、コナミから公式カードが発売される前からカードを自作して1人で遊んでいたくらいに好きだった「遊☆戯☆王」だ。
確か私が小学生低学年だった頃にアニメ放映がスタートしたはずだたが、眠い目を擦って*1テレビの前で正座しながら念願の遊戯王。動く遊戯、死ぬ城之内。最高だ。OPが終わりCM、そしてさあ本編…となった10秒後。


…違う。全く違う。遊戯も城之内も杏子も、私が想像していた声と全く違うのだ。今調べて見ると、遊戯の声優はエヴァンゲリオンのシンジ君役でお馴染みの緒方恵美、城之内の声優はトム・クルーズキアヌ・リーブスの吹き替えを担当している森川智之と、実力もキャリアも申し分ない俳優たちであるはずなのに、違和感しか感じない。自分が想像していた声と全く違う遊戯が「遊戯!」と呼ばれ、漫画で何度も見たストーリーを辿っていく…。ちょっと不気味だ。「果たしてこのまま見続ける事は出来るだろうか…」と不安を感じながらAパート終了。


(ここでテレビの音声で起きてきた祖母が「何見てるんだや!何見てるんだや!」「ゆで卵食うか!ゆで卵!」「味噌汁飲め!」「イソフラボン!!」とデカイ声で何回も聞いてきたので「ポーパヤ!ポパヤポーパヤ!のCMが聞けなかっただろ!!静かにしろよ!!」と叫んでいたらいつの間にかBパートに入っていたが、それはどうでもいいや、関係ないし。)


遊戯が千年パズルで二重人格の「もう一人の遊戯」が不良たちを罰ゲームで懲らしめ、Bパートも終わりエンディング曲を迎えても、やっぱり残る違和感。「遊戯はやっぱこんな声じゃなかったな…もっとこう…こう…」と脳内で今まで想像していた遊戯の声を思い出そうとする。
…のだが、不思議な事に何故か思い出せない。何度も何度も脳内で鳴り響かせていた『大正解』の遊戯の声も城之内の声も、たった1度本家本元のアニメを見ただけで、全て消えてしまっているのだ。「アレ?アレ?」と本棚から単行本を取り出し、もう一度読み返してみても、登場人物たちは全て緒方恵美の声や森川智之の声でしか再生されなくなっていた。その1週間後の第2話からは何の違和感も感じずに視聴する事になった訳だが、やっぱり不思議だ。昨日まで頭の中で再生されていたはずの遊戯たちの声は一体どこへ消えてしまったのか。


アレと似ているかもしれない。
先週松屋に行った時、髪を後ろに束ねて背の高いスラッとした人が隣に座ったので、牛丼屋に一人で来る背の高い女が好きな私はとてもドキドキしてしまって、どうしても顔が見たくてチラ見すると「…つゆだく」と低音で呟く丸眼鏡をかけて無精髭を生やして紐で括ったUSBを首からブラ下げたガリガリの男だった時に「…殺す!」となったのと。
そのガリガリの男を見る前に思い浮かべていた「ぼくのかんがえたさいきょうのかっこいいぎゅうどんをくうおんな」がどんな出で立ちをしていたのかは完全に忘れた。その瞬間死んだ。人殺しだ。殺人者だ。警察を呼んで欲しかった。

*1:新潟では朝5時半からの放送だった