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「私の遺影を抱きながら大泣きする母も、それを見つけてしまった時は一瞬泣き止み真顔になるのではないか」

 
「夢」の正体とは何か。私にはそれは「呪い」だと答えることが出来る。
 
 
目標より一歩分だけ遠いところにいる「夢」が蜃気楼の様に、一歩進むと遠のき、また一歩進めばまた遠のく。「アレ?」と、違和感を覚え足元をジッと見ていると、果たして自分はこれまで本当に歩みを進めてこれたのか、分からなくなる。同じところをただただグルグル回っているだけな事に気付いても、件の「夢」は手が届きそうで届かない位置から、ずっとこちらを見続けている事に変わりない。
 
 
昔のゲームを思い出す。確かRPGだったと思うけど、プレイヤーは森の中の十字路にいて、正しい順序、正しい方角に向かって進んでいかないと、いつまで経っても森から抜け出す事ができない。延々と代わり映えしない森の中を、毒とか麻痺とかの状態異常攻撃を仕掛けてくるキノコ型モンスターとエンカウントし続けながら、HPと状態異常の回復アイテムの在庫を気にしつつ「どうか次が町に繋がる道であってくれ」と、今さっき死んだ仲間の復活に全財産の7割を寄付したばかりの神に祈る。
 
 

「地獄の沙汰も金次第」という言葉がある。正しい。この世は金次第でどうとでもなると気付いた人間にとっては、楽しむことも、学ぶことも、働くことも、全て地獄の様に思えてくる。夢が呪いであり続けるのならば、希望とは、野心とは、向上心とは、一体何なのか。我々は考えなくてはならない。何故、この様な2つの相反する気持ちを頭にぶら下げて生きていく必要があるのか。何故、何の得にもならないはずの夢や希望が、いつまでも心の中に居座っているのか。心がある限り、感情がある限り、我々は「生活のバランスを取ること」「妥協を覚えること」を求められる。コレは呪い以外の何物でもない。

 
 
しかし、同時に考えなくてはならない事がある。
「救い」の設定である。私たち人間には義務がある。確かに「勉強」や「労働」や「食事」や「奨学金の返済」や「もし不慮の事故で自身が死んだ後はAmazonで買ったアトリエかぐやのエロゲの処理はどうなるのか」や「私の遺影を抱きながら大泣きする母も、それを見つけてしまった時は一瞬泣き止み真顔になるのではないか」は、人間が生きる上での必須事項であるが、我々の最大の義務といえば「死の回避」である。死にさえしなければ、『ナースにおまかせ』も『姉汁』も隠す必要など無い。生命活動を続けようとする心さえ折れた時、それは最早人間ではなくなってしまうのだろう。
生きる為、考える為、人でいる為に、我々は我々だけの「救い」を設定する必要がある。
 
 
1つ、提案したい「救い」がある。Hカップである。
…待ってほしい。別にコレは私が奇乳・超乳でしか興奮出来なくなる21世紀のオタク特有の性癖に起因する訳では全くない。ただ、ただ考えてもみて欲しい。そもそも、このHカップというのは当人、つまりHカップ保持者、つまりフェリス女学院大2年の身長168cm黒髪ロングHカップ保持者にとっては、Hカップとは、私が前述した『相反する2つの気持ち』その物なのだ。
我々に『心』がある限り、オートマチックに『感情』を受け取るのと同じ様に、Hカップ保持者に『基盤』がある限り、オートマチックに卵巣の発育によりエストロゲンの分泌され、否応なしに『第二次性徴期』に突入してしまう。Hカップというくじ引きに当たったが為にHカップ保持者はHカップという呪いと共に、男子からの目線、下着購入時の手間、肩の痛みと張り、夏場での谷間に出来る汗疹と一生付き合っていかなれけばならない。
 
 
しかし、別にコレは私が奇乳・超乳でしか興奮出来なくなる21世紀のオタク特有の性癖に起因する訳では全くないのだが、悩み、足掻き、傷付きながらも、それでもHカップという運命と共に懸命に生きていく事を選択した21歳1浪フェリス女学院2年家族構成父母弟黒髪ロングHカップ女学生のその姿は、私にはとても輝いて見える。その21年間の人生でHカップが得た物は『諦め』だけだったかもしれない。Hカップは失ってばかりのカプ生だったかもしれない。
しかし、彼女はHカップである事だけは決して辞めていない。Hカップである事から逃げていない。その悩みには価値が無いと、考えるだけ無駄だと、一体誰が決める事が出来るのか。一体誰にそんな事を言える資格があるというのか。私は「夢とは呪いである」と書いた。それは未来永劫、地球が破滅しても、押入れの中の『家庭教師のおねえさん~KAGUYAコレクション~』が家族に見つかっても、ひっくり返る事は決して無いだろう。ただ、それだからこそ、「ここまで乳関連で何の苦悩もなく乳首取れかけで二十数年生きてきたBカップ」と「何か得た物もなくただただ失い続けるばかりだけどそれでも共に生きていくしかないと覚悟を決めた乳首取れかけのHカップ」であれば、いつか乳首が取れた時に、皆の心の中に残るのは必ずHカップであるはずなのだ。
 我々は『夢』を持ち続けるべきなのか。
我々は『心』とどう付き合っていくべきなのか。
我々は『諦め』に屈するべきなのか。
「答え」がそこにあるとは言えない。「正しさ」としてのHカップを、私は救いとして見ていたい。別にコレは私が奇乳・超乳でしか興奮出来なくなる21世紀のオタク特有の性癖に起因する訳では全くないが。
 
 
…別に陰茎が乳房で挟まれない関連のAVとか普通に借りるし。一番好きなのは電車の中で痴漢プレイを楽しんでたら女の方が我慢できなくなって駅のトイレでヤッちゃうヤツだし。…別に言わなくてもよかったな、最後の。っていうか冷静になって読み返してみると「ここまで乳関連で何の苦悩もなく乳首取れかけで二十数年生きてきたBカップ」って何?多分架空のBカップだ。