映画「ANNIE」を見ました。

メールボックスの下書き欄をボーっと見返していたら今年の2月に見た映画ANNIEの感想が出てきました。
多分TBSラジオの『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』の映画批評コーナーに投稿するつもりで、そのまま忘れてしまった物だと思います。
ロードショー公開はとっくに終わってDVDリリースのタイミングも逃してしまったのでとっくに腐敗臭が漂ってる感があるんですが、一応ブログにアップしておきます。ネタバレもありです。




現代のニューヨーク。アニー(クヮヴェンジャネ・ウォレス)は4歳のときに姿を消した両親に、いつの日か会えるときが来ることを夢見て、両親と別れたレストランに足しげく通っていた。ある日、アニーはIT長者でニューヨーク市長の有力候補とされるスタックス(ジェイミー・フォックス)に出会う。選挙スタッフに提案されてアニーを引き取ったスタックス。そんな中、アニーの両親に関わる知らせが届き……っていうあらすじです。





アニー見ました。ミュージカル、映画共に世界的な認知度のあるアニーですが、話のあらすじも全く知らない状態、そしてミュージカル映画レ・ミゼラブルドリームガールズくらいしか見た事が無い、という状態での鑑賞でした。


全体な感想としては、面白い場面、胸を打つ場面はいくつかありました。主演の女の子の歌はとんでもなく上手で、ストーリー全体をグイグイ引っ張る要因になっていました。
周りを固める俳優陣も素晴らしく、ジェイミーフォックスの美声もさる事ながら、彼の「キョトン」とした表情には愛らしさすら感じました。
頭も股も緩いバカ女役のキャメロン・ディアスは、「自分が世間一般に与えているイメージを分かっている」という事が良く理解している演技であったと思います。(私個人が思っているだけかもしてませんが)彼女がスクリーンに出てくる時の「半笑い感」が存分に発揮された役柄であり芝居であったと思います。


しかし、歌や踊り以外の描写、演出、ストーリー展開に関してはかなり雑な印象がありました。


歌や踊りはもちろんこの映画と肝となる箇所でありますし楽しめた場面でしたが、個人的に一番目を引いた箇所は、ジェイミーフォックス演じるスタックスとアニーの食事描写です。
映画における「食事」というのは、生活の一幕を劇中で共有する事で当人同士の心の繋がりを表している物だという理解なのですが、この作品では「飯を食う」では無く「飯を吐く」ことで絆が深まる様子を描くというかなり斬新な演出を試みています。
ジェイミーフォックスとアニーが食い物を吐けば吐くほど2人の仲が深まっていく、所謂『吐瀉物映画』という感じでしょうか。飯をちゃんと食う描写より粗末に扱う場面の方が多い映画は、少なくとも私はこれまで見た事がありませんでした。


「お米の一粒一粒には神様が宿っているんだぞ!!!」
「スタッフがこのあと美味しく食べましたのテロップが無い!!!」
「私が小さかった頃、夕飯後の飲酒の為に、毎日夕飯を殆ど食べずに母に残飯整理させた祖父のお葬式に結局行けなかった事を思い出すだろ!辞めろ!!」


とは言いませんが、ちょっと吐きすぎでは?こんな演出の繰り返しで絆の深まりを描いているつもりなら、少しお粗末過ぎるのではないでしょうか。吐瀉物ファンにはオススメの1本だと思います。


また、
映倫マークが唐突に右下に出てくるのは何なんだ?」
キャメロン・ディアスも幸せになりました組に入ってエンディングを迎えるのはどうなんだ?」
「スタックスが自身の出生の秘密をアニーに語るけど、幼少期にあまり裕福で無かったなら無かった分『炊き出しでのポテトが不味くて吐く』『ホームレスや子どもに触れ合うのも汚らしくて無理』などなどっていう描写には矛盾があるんじゃないのか?」
「スタックスがアニーが車に轢かれそうになるのを助けて、それを撮影していた市民が顛末を動画投稿サイトにアップする、という一連のシーンで投稿された動画が私たちが見ていた映画本編で流れた動画と同じで『お前その2カメはどこから連れてきたんだ!?』っていう酷い使い回しはどうなんだ?」



と、気になった箇所はかなり、かなりありました。



また、アニーも劇中ずっと「明るくて素直な子」の一本調子のままなのもどうかと思います。
未だ見ぬ両親とスタックスとの間で揺れ動き悩むのも終盤のほんの数分だけで、それ以外はずっと無邪気な子どものままであり、彼女が子どもから大人へ少し近付いた、という様な成長譚的要素が子どもが主役ながら今作には殆どありません。


なので、「いつか会えるかもしれない両親への想いを断ち切ってスタックスを選ぶ」というクライマックスにもカタルシスは全く感じられませんでした。
どこかで両親の事を忘れたくなくてスタックスを遠ざけたり、「人生にはどうにもならない事もある」という諦めを知る事で少し大人になる、の様な描写も一切無いままでは「結局劇中では何の成長も無いままに運良くお金持ちの家に拾ってもらえた」という印象にならざるを得ませんでした。


書いてて思い出しましたが、スタックスはメチャクチャな潔癖性というキャラクターでしたが、潔癖性の人間が満員でギュウギュウ詰めの映画館でポップコーンバリバリ食いながら映画を見る、というのはちょっとあり得ないのではないでしょうか。私も少しその気があるので若干気になりました。
お前にとっての『潔癖』は、一時期の沢村一樹が女が許容できる程度のエロネタでテレビに出まくってた感じのファッション要素でしかないのかこの野郎って感じでした。この例えが伝わるとは思っていません。スイマセン。





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