1006回目のエイリアンズが始まる前に

基本的にブログに限らず文章を書く時は音楽を聞きながらになるのだが、3年ほど前からパソコンが壊れたままで、しかも月7万のフリーター生活2年と月6万8000円の雇用保険暮らし1年の生活がつい最近まで続いていたのでパソコンを新調するお金もなく、iPhoneに同期してある曲がiTunesCard3000円分で買えた分しか収録されていない。
ちゃんと数えてもないが、多く見積もっても精々15曲プラスU2のよく分からない数曲を延々と繰り返し聞きながら数百時間作業している。


多分エイリアンズとかもう1000回は聴いてるはずだ。
雑音をシャットアウトする為に自分で選んで自分で買って自分で耳にイヤホンを突っ込んで聞いた曲のはずなのだが、エイリアンズを聴く度に最早神経が参りかけている。(参りかけているという日本語は多分ない)


1001回目のエイリアンズを聴く。
私の中ではもうエイリアンズは「掘った穴を埋める」「密室内で8時間ごとに椅子に立ったり座ったりを繰り返す」レベルの拷問に近い存在だ。
コレは人間の神経が如何に貧弱で脆いかという証明になると思う。パンパランパパン…パパン…パパパンパン…のイントロでもうウッとなる。「短所をジョークにしても眉を顰めないで」が私の職歴を揶揄している様にしかもう思えない。


1002回目のエイリアンズを聴く。
この曲を聴く度に、脳内には小学3年生の時に通った水泳教室の記憶が蘇る。
教室内には「小3コース」「小2コース」「小1・幼児コース」とあって、学年毎にコースが振り分けられる仕組みだった。
小3コースの中で泳げない子どもは私ともう2人いて(2人ともとんでもないデブだった)私達はレベルの落ちる小2コースに降格となった。


1003回のエイリアンズを聴く。
少し背丈の低い小学2年生たちと一緒にコースを受ける事になった私は、まず最初に「ビート板を使ってのバタ足」をやらされる事になった。しかし、私はまず泳げないのだ。ビート板が足の間から飛び出し、鼻から2ガロンの水を飲み込み16回死んだ所で、担当の先生から小1・幼児コースへの降格を言い渡された。ショックだったが、一緒に小3コースから降格になったデブ2人はビート板を使ってなら泳げていた事の方がショックだった。私は生ける肉塊、喋る障害物に負けたのだ。


1004回のエイリアンズを聴く。
フリルの付いたセーラームーンの水着を着た5歳の娘や、お母さんにプールサイドで見守られている赤い水泳帽の男児と一緒に、水泳教室が開講していた2ヶ月の間、みんなで手を繋ぎながら水の中で10を数えたり、水中に浮かべたフラフープを潜ったり、5歳に手を持って貰って水中で目を開ける練習をしたり、「よくできました!」と私より泳げる幼稚園児たちから拍手をもらったりしていた。


私は同学年の子どもと比べても背が高い方だったので、幼児の中で余計に目立ってもいた。小2コースのデブ2人は結局2ヶ月の間降格する事なく、平泳ぎで25m泳げる様になっていた。私はデブに負けたのだ。怠慢が服着て喋ってる様な存在に負けたのだ。
そうして私が小学3年生で体験したのは「強烈な辱め」と「緩い拷問」であった。


1005回のエイリアンズを聴く。
今、もう15年は泳いだことすら無い事に気付く。人が犯す失敗には2種類ある。
「これからの教訓に出来る失敗」と「只々失うだけの失敗」だ。勝手だと充分承知しているが、エイリアンズを聴く度に私は少しずつ少しずつ何かを失っている様な気がする。それは尊厳である。身長1mにも達していない幼児にも自身が劣る存在であったという事実。そして水中で躍動するデブの脂肪をゴーグル越しに見なければならなかった体験。一体これらから何を教訓にして次に生かせというのか?


失敗した後に何も行動しない事こそが失敗なのだと、他人事を他人事の様に思った事もあるが、私の場合体育の水泳の時間で失敗してからのリカバリーを含めた水泳教室だった。記憶の限りでは、コレが私の人生においての最初の挫折だった。


1006回目のエイリアンズが始まる前に、早い所新しいパソコンを買ってしまいたい。