ポケモンについて



誰にだって記憶はある訳で、記憶があるなら思い出もある。思い出は美化されるものだけど、例えば幼少期に多人数と何かを共有できた時の脳内に分泌される成分を、大人になっても外部から何らかの方法で摂取できるのなら、それはきっと麻薬と呼ばれるのだろう。
始めて「他人と繋がっている」と実感できた時の快感は何物にも変えがたく、そしてそれは得た瞬間に失われた、一瞬の衝撃であった気がする。


世代によってその対象は娯楽であったり、スポーツであったり、ペニスケース大相撲であったりと大きく変わるのだろうけど、私にとってはそれはポケモンをプレイする事で得る事が出来ていた。


(因みにここでいう『ポケモン』とは、限られた環境下でしかそこにある事が出来ない氷という有限の存在を神として崇め奉り、『神の出汁』である氷が溶けて排出される水分のみを口にして一生を過ごす信仰の元で暮らすトァンキン・ミルゴロー族が、年に1度の祝祭であるペニスケース相撲で圧巻の34年連続優勝を果たし伝説となったペニケーチャンピオン、『ポケルンツォ・グアルダーオ』の得意技、『悶々仕込み』の略称としての【ポケモン】ではないので注意してほしい。っていうか明らかに日本の民族ではないのになぜ技の名前は和名なんだ?逆輸入か?)


世代的に一番嵌ったのは、今では初代と呼ばれる『ポケットモンスター緑』だ。何故赤ではなく緑だったのかは、あまり覚えていないし、いつの間にか手元にあった。
多分おばあちゃんがタクシーの電話番の夜勤で稼いだお小遣いで買ってもらったんだと思う。ありがとう大好きだったおばあちゃん。
もしそうで無かったら早野くんから借りパクしたヤツだ。ごめんなさい早野くん。


小さい頃から一人遊びで有り余る時間(ひとり桃鉄やひとりスーファミのソフトを擬人化しての王道バトルアニメ妄想などだ)を潰していた私にとっては、ポケモンをプレイする事で、周りの人間との「共通の話題」を得る事がたまらなく嬉しかった。


当時はまだ子どもだったから、ガチの対戦や努力値等の概念なんて分からなかったし出来なかったが、ただただ友達のプレイ画面を覗いたり、図鑑の集まり具合を見たり、バグコマンドを入れて早野くんのポケモン画面をメチャクチャにしてるだけで楽しかった。あの時はごめんなさい早野くん、でも君も笑ってたし君も悪い。


フシギバナだけが偉く強いパーティーで四天王戦を戦ったり、イーブイを何に進化させればいいか分からずに進行がストップしたり、「もしかしてマスターボールって相手の手持ちポケモンも捕まえられるんじゃないか!?どんなポケモンもいけるって書いてあるし!」…弾かれたり。そんな風にポケモンは私に沢山の思い出を作ってくれた。


そこからポケモンシリーズは私に沢山の「共通の話題」を提供する事になる。
ポケモンカードポケモンスタジアムポケモンスナップピカチュウげんきでチュウ、ポケモンバトルえんぴつ、よくわからないサイダーにオマケで着いてきたギラッギラのポケモンメダル、カスミのセクシーシーンに鉛筆書きで「俺のおっぱい」「俺のまんこ」と矢印で注意書きが足された早野くんの電撃ピカチュウコミックス第2巻…いつでもどんな時でも、子どもの遊びの中心にはポケモンはあったし、どんな人とでも「共通の話題」としてポケモンはそこに(最後のヤツは私は見なかったことにしてソッと早野くんの家の本棚に返したので私だけの事だけど)あった。


大人になってしまった今、そういう「話題のセオリー」みたいな物は自分の中にはあまり無い気がする。大抵男同士の会話となれば車か酒か女の話しかしないしされない。


私が出来る車の話といえば「この前車検だったのでイエローハットに行って見積もりしてもらったら、レジの奥から『なんでこんなになるまで放っておいたんだ!?』と店員さん4人が私の車の明細を見ながら、とても盛り上がってる様子が垣間見えたので傷ついたしもう2度とあそこには行かない」だし、女の話は「個人的に電撃ピカチュウで一番興奮したシーンは、カスミが温泉内の滝の様にしてお湯が出てくる箇所に13歳にしては偉くデカイ胸を当てるシーンだったから早野くんは本当に何も分かってない」しかないから、確実に沢山の人間の頭の上に「?」マークが浮かぶ事になる。大体女の話じゃなくて半分早野くんの話だし。


そういう「ほぼ全ての人間に当てはまる共通の話題を全員が持てていた」というのも、幼少期の頃にしか無い体験だったんだろうか。でも電撃ピカチュウの話題を振ろうとすると皆一斉に口をつぐんでいた気もする。うーん謎だ。
ついでと言っては何だけど、この前恐らく借りパクしたであろうポケモン緑が実家の押入れを整理している時にたまたま出てきた。どうしよう…返すにしても件の早野くんは最近宗教に嵌って、手当たり次第親交のあった人間に連絡を取って入信を勧めてると聞くし…。