「僧侶も走る程に忙しい」という事で【師走】と呼ぶそうである。

「僧侶も走る程に忙しい」という事で【師走】と呼ぶそうである。


しかしそうはいっても私の田舎は雪で道が全て埋まっているのでお寺さんも走ろうにも走れない。
降雪で半ば軟禁された状態にあるからか、街の年末のざわめきも忙しなさにも全くピンと来ないが、そうはいってもと考えてみれば小学校の友達との忘年会が今年もあったし(呼ばれれば、だ)見たい映画も年末に多くあるし(除雪車が来てくれれば、だ)と出費が多そうな予感だけは今更ながら感じている。


これも全て師が走ってない事に由来するのだろう。
師が走ってないから、私の周囲だけ年末の忙しなさはやってきてくれず、都市部からの金がかかる予定だけが私に伝達されるのだ。


この数ヶ月の主な運動といえば「家と建物間の徒歩」「便器の上でのふんばり」程度でしかない私では、お寺さんに変わって雪上での軽いフットワークを披露するのはかなり難しい。


どうしたものかと冷蔵庫からアサヒスーパードライを取り出しプシュとやった所で「そういえばこのビールは母が買ってきたものだった」と思い至る。


そうだ、私に師はいたのだ。
その師は週5で化学工場に雨の日も雪の日も休まず出勤し、息子の弁当を作り、BS料金を毎月払っている。
年末だけとはいわず、来月も、再来月も、来年も、再来年も、そうやって走り続けている。


私に師はいたのだ。家族の為にずっと走り続けている師がいたのだ。何故今まで思い至らなかったのか。ビールをゴクリとやって、私は自分自身を責める。




明日、母に小遣いを貰おうと思う。