足が速いか速くないかで、人間のその後の大体の人生は決まってしまうのではないか

足が速いか速くないかで、人間のその後の大体の人生は決まってしまうのではないか。


いつかはおちんちんの皮も剥け、性器に第二形態があるなどとは想像もしない様な児童たちからしてみれば、始めて人間の格差を目の当たりにするのが、この【50m徒競走】であるし、【クラス対抗リレー】であったりする。


図工の授業で花壇の花々を12色のクーピーを駆使し、画用紙の上に美麗な彩りを描くことができても、国語の授業で登場人物に感情移入をし心を込めての朗読ができても、算数でたかしくんと八百屋のお兄さんのくだものそっちのけBL面白話でTwitterで150RTを貰っても、一度体育で徒競走では女子に簡単に追い抜かれリレーでバトンを落とし屈辱の周回遅れでもさせた日には、屋内授業で喝采を浴びた日々は全ては泡となり、翌日からクラス内カースト制度の最底辺から抜け出す事は6年間叶わない。


「いたの?」「学校来たの?」「えっ飯食うの?」などと罵詈雑言を浴びせられる事は当然のこと、昼休み終わりの掃除場所決め学級会ではクラスの圧倒的な支持を得て、誰もが嫌がるトイレ掃除当番に無条件で大抜擢、足の速い連中にはそこそこ足の速い第2グループの人間を通してからでないと声をかける事すらも受け付けられず、席替えで隣になった女子には大泣きされ翌週の学級会では「足の遅いグズの貴方が存在するという事こそが最早女子にとっては大きな苦痛である」「お前の様なドブ汚物と席を隣り合わせるなどというのは、我々の人間性を、尊厳を著しく欠く要因となり得る大変愚かな行為である」との声明に、足の遅い人間はまずこの世に自身を産み落とした母を恨むのだ。そして自分自身を出産させる環境つくりをした父を恨み家族を恨み世界を恨み、最終的には無神論者となる。「脚の速さ」という産まれてこの方始めて体験する児童たちの【順位付け】という行為が、足の遅い人間たちの自意識を曲げ、「神はいない」との結論を導き出す。


神がいるのなら、どうして徒競走でのゴールテープ手前3mの時点でスニーカーの靴紐が解ける自体になり得るのか?


神がいるのなら、どうして【悪口をどれだけ言っても良い存在、だって足が遅いのだから】との扱いをクラスの大半からされ続け、逆に私に話かける女子が「あいつに話かけるなんてなんて優しい人間なんだ」と男子から多くの支持を集める様な自体になければならないのか?


神がいるのなら、体育のバスケットボールの授業で、【運動神経の良い人間と悪い人間を組み合わせてチームの強さに偏りが出ない様に組み合わせを作る】という大脳の代わりにチョコフレークが頭に詰まっているとしか思えない体育教師の指示で、ずっと半ギレのクラストップカースト陸上部キャプテン清水くんの舌打ちにオドオドしながら弾丸の様なパスを顔受け止める事になってしまうのか?


足が速いか遅いかで、人間の大体のその後の人生は決まってしまうのではないか。恐らくその通りだ。
国語も算数も社会も理科も音楽も成績の悪かった児童も、ドッジボールが上手くて足さえ速ければプラマイゼロどころか若干のプラス補正まである。得意科目云々でこれ程までに不公平な評価査定があるのならば、もういっそ「走る、という行為その物を放棄する」という手段でしか、足の遅い小学生が未来の自分自身を守る方法はきっと無いのだ。


【ヨーイ、ドン!】の号令にも、一切微動だにせずに、只々時間が流れいくのを待つのだ。ずっとグラウンドの片隅で50m先のゴールテープを睨み付け続けている合間、周りの子供たちは体操服が窮屈になるほどに身体は「男と女」の身体になっていき、頭チョコフレーク教師は定年を迎え、学校は少子高齢化の煽りを受けて廃校、そしていつかきっと、「足の速さこそが正義」などいう風潮を打ち破ってくれる次世代の子供たちの登場まで、私はきっと待ち続ける。そう、きっと君が、私を、私たちを救ってくれるのを!!


…イヤ、そんなんしたら普通に親御さん学校に呼ばれますけどね。っていうか「足を速くする為にジョギングでも始めよう」とも思わなかった幼少期の自分自身に問題があったんじゃないのか?


…結局悪いのは私なのか?実際問題、只々私という人間に問題があったからクラスからぞんざいな扱いを受けていたのか?実は神はいるのか?今ファミレス内の横の席いる女子高生たちがクスクス笑っているのは、私の事を馬鹿にしているからなのか?一体私を誰がこんな人間にしてしまったんだ…?


あっ足が速くなかったからだ!