私は自分が可愛いのだ。 昼飯には1100円の汁パスタも食べるし、休日も足の悪いおばあちゃんに風呂掃除もさせるし

忙しい。


春から通っている職業訓練学校での企業実習が始まり、朝5時半起床、片道1時間半掛け通勤、企業で9時間労働、そして家までまた1時間半という生活を一ヶ月続ける事になった。
しかもこれに加えて電気工事士の勉強も並行して続けているから、土日以外に自分の時間が殆どいっていい程無い。


…いや当然、このブログをお読みになっている社会人の皆々様からしてみれば「お前そんな程度、忙しいの範疇にも入んねえから!例えるなら『尿道に外部から固形物挿入に挑戦!』レベルで入んねえから!」とお思いになる事請け合いだろうが(多分針金とかナッツがいっぱいくっ付いたポッキーとかが対象です)こちとらつい最近まで昼前に起床し、アルバイトの8時間労働のうちレジを触る機会は12回程度、他の時間はずっとラベル切り張りの図画工作という桃源郷の様なフリーター生活を2年続けてきた身であるから(そこのバイト先は勿論潰れた)この様な急転直下のジェットコースター生活にこの怠け切った我が身が耐え切れる訳がない。


私は自分が可愛いのだ。
昼飯には1100円の汁パスタも食べるし、休日も足の悪いおばあちゃんに風呂掃除もさせるし、中学生だった頃に友達から借りっぱなしだったゲームも平気でゲオに買い取ってもらうし、おちんちんをオシッコ以外の用途で使用した事もない。この大事な身体に何かあったら、一体誰が責任を取ってくれるというのだろうか?


しかし、このキツイ生活を、毎日毎日当然の様に消化している社会人が多く存在している事を考えれば、所謂「自己犠牲の精神」が無いと社会人として生きていく事は困難な様だ。


それは私も頷ける。
私も自身の生活の1時間を750円で買い取って貰う生活を何年も続けてきた人間である。
何かを得るのならば、対価を支払う必要がある。「手をパンッ!と鳴らす」という『対価』で「地面から槍やら大砲やらを生えさせる」という『報酬』を得る、でお馴染みの漫画「鋼の錬金術士」を読む事で、私も世界の仕組みの一部分を学ぶ事に成功している。あらゆる事象には、それ相応の代償を支払わなければならない。


ただ、この世にはその『対価』と『報酬』のバランスが狂っている事象が多く存在する事も事実である。


例えば、入学金と4年間の授業料の総額数百万円を親に支払ってもらいながら、就職に失敗し田舎に泣きながらの出戻りとなった大卒無職。
例えば、月残業時間が100時間近くになるはずなのに、給与を一時間あたりいくらで割り出すと最低賃金を大きく下回る事になり、考える事を放棄した手取り15万社会人。
例えば、手洗いを繰り返し安物オナホールで6度目の自慰をした後、雑菌が尿道に入り尿道炎に苦しむ全裸低所得者オタク…。


適切なバランスというものを、この世界はとっくの昔に喪失しているのだ。


では私も今感じている生活への不満も、いつの間にか忘れ、受け入れる様になっていくのだろうか?
全てを諦め、受け入れるという事が、大人としての第一歩であるというのなら、こんなに辛い事はない。石ころひとつで山の様な黄金を産みす事を強要され、星々の煌めく宇宙を対価にカメムシ1匹を報酬として受け取る様な生活が、大人には待っているという事なのか。


試しに今、手をパンッと合わせてみる。


…そういえば私が鋼の錬金術士を最初に読んだのは確か高校1年生の頃だったと思うが、ちょうどその頃、中学からの友達でX JAPANが大好きだった井口くんとの学校の帰り道で「えっX JAPAN好きなの?あのドラムとかすぐ壊す人達が好きなの?」などと喋っていたら、次の日から卒業までの3年間、一切井口くんが口を利いてくれなくなった事を思い出した。


………これが錬金術なのか!?