少し困るとすぐ自慰に例えるのはどうなんだ?

「劇的な瞬間」の様な物を私は求めがちなのだけれど、こういうのは「怠惰に続く日常」があるからこそ意味がある物だとも同時に考える訳で、そうなるとここに「今更な矛盾」がある。


劇的な瞬間ばかりが日常であれば、それは怠惰な日常になってしまう訳で、例えば中学校に行ったり、毎日同じ道を歩いて通学したり、塾に行ったりするから、空から美少女が降ってきたり、道端でエロ本を拾ったり、150円で買った遊戯王ブースターパックからデーモンの召喚が出たり、友達が自殺したりする。


あらゆる人間の毎週木曜日17時に美少女が降ってくる様な劇的過剰な日々ならば、きっと降ってくるのは美少女成分が極限まで薄まった女だ。身長144cm89kgBMI25オーバーの糖尿病痛風女かもしれない。それはそれで劇的だけど。


劇的な日々を提供してくれる媒体に私は触れすぎているのかもしれない、と考える時がある。
2ヶ月ぶりに吸う煙草がとんでもなく美味い様に、1週間に1回の自慰がとんでもなく気持ちいい様に、いつも暴力ばかり振る亭主の一瞬だけ見せる優しさについつい全てを許してしまう様に(最後のは想像だ。大体ちょっと言い回しに困ると自慰で例えるのはどうなんだ?ピンと来てる人間がいるのか?)ちょうどいい塩梅での変化こそが、人の精神にとっては一番いい薬になる。


要はバランスだ。それを自覚しながら生きていきたい。
劇的な1日の為に生きるならば、きっと怠惰な1ヶ月も何とか過ごす事が出来そうだ。ただそういうある種メタ視点的な感知機能が、人間に完備される日は来ない事は何と無く私でも分かる。


私は知識がないから出せる例がメチャクチャ少ないんだけど、私がアニメ「psyco-pass」とか伊藤計劃「ハーモニー」とかあの辺りが好きなのは、「管理された安定に抗う物語が好き」よりも「管理された安定」その物に、どこかで憧れを持っているからなのかな、と思う。


「今まで好きになれなかった物が好きになれた」とか「許せない物を大人になって許せるようになった」とかっていうのは、よく言う『成長』なんかじゃなくて『ただそれに飽きただけ』なんじゃないのか、人に成長なんてあるのかと常々思ってるんだけど、まあそれは悲しい考え方だなとは高卒社会人の友達に800円のハラミを食いながら言われたし、650円のホルモンを食ってた私もそう思った。


じゃあ何が幸せで何が成長なのか分からないのなら、いっそそれを『私よりもう1つ段階が上の存在』が決めてしまえ。私がもし高卒で社会人になれていれば、成長を知覚、実感出来る様になれていたのだろうか。職のありなしは人の在り方を変えてしまうのか?多分変える。私は2ヶ月前までフリーターで、今はまた学生をやっている。


射精管理はどうだろう。
1つ上の存在が私の快感をコントロールする。
1つ上の存在が私という存在の主導権を得る。
1つ上の存在が私の意思を否定する。
こんなにも職のありなしに関係なく、お手軽な人の在り方を変える方法が、他にあるのか?
少し言い回しに困るとすぐ自慰に例えるのはどうなんだ?コレで少しでもピンと来てる人間がいるのか?私は2ヶ月前までフリーターで、今はまた学生をやっている。こういう25歳の在り方はどうなんだ?きっと駄目だ。


ウオーン ウオーン

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