バイト先で油臭いお客さんの匂いを嗅いで、

バイト先で油臭いお客さんの匂いを嗅いで、「そういえば最近ザリガニを見てないな」となった。


私にとっての「なんか臭い」は「昔住んでた家の裏側にあったどぶ川」であり「家の裏側のどぶ川」といえば「(64の大乱闘スマッシュブラザーズで小学生だった私と同級生の松田くんにどうしても勝てない事に腹を立て、押し入れから竹刀を持ち出して自室で暴れまわった事でお馴染みの松田くんのお兄ちゃんがどぶ川でよく捕まえていた)臭いザリガニ」という方程式の一部だった様だ。私のDNAには大人になった今でもそんな方程式がまだ刻み込まれているみたいで、なんとなく思いだした。



私が生まれ育った地域では「ザリガニ」と「爆竹」の2セットさえあれば流行に遅れることなく、「今時のこども」であれた様に思う。
デカいザリガニが釣れれば「松田のお兄ちゃんココでザリガニ釣ったんだってよ!」と噂になったし、それからの数週間、地元の小学生は全員決まった時間に1日3回松田くんの家がある方向に礼拝する生活を送る事が義務付けられた。ザリガニを釣った=神であり、どぶ川へと毎日の様にチャレンジに向かうその姿は神々しくも見えた。私の母は茶の間から家の裏側に群がる小学生を見ては眉をひそめていたが、私にはそう見えた。


一方爆竹はというと、私が育った田舎ではなかなか手に入る機会が無く、車で40分かかるジャスコ内のおもちゃ売り場まで足を運ぶか、地元の青年会が1年に1回開催する小規模なお祭りで屋台のおもちゃ屋から購入するかしか入手方法が無かった。


そんな爆竹の「1パン」が大変貴重がられた事は想像に難くないと思う。みんなのとっておきの「1パン」だ。
あまりに使うのが勿体無いということで、『お祭りで大量に購入したはいいが爆竹の様な危険な遊び道具は近所で使ってしまえば必ず親から苦情が入る。かといって学校のグラウンドでやるのも味気ない。ならばお祭りで購入した全爆竹を1年間保存、そしてまた開催された翌年のお祭りで笛やら太鼓やらの音と一緒に貯蓄爆竹全使用、パンパンパンパパンパンンパンパパンンパンパンパンパンパンパンパンパンの直後にまた屋台で山ほど爆竹を購入し貯蓄に回す』という、義務の様に爆竹を炸裂させていた小学生が多発したせいで(松田くんのお兄ちゃんや両親が自衛隊に勤務しているので家のガレージに改造した戦車があり、いつでも発進できる状態にあるという嘘を6年生になってから突き続けた2つ上のフミヤ先輩たちが面白がって、爆竹を低学年の子どもたちに投げまくっていた、という忌まわしい風習が蔓延っていた事もここに追記しておきたい)私たち世代の小学生は皆怖がり、親と一緒に同伴できる夜以降でないとお祭りに行く事が出来なかった。だからお祭りの日は毎年決まって、会場から聞こてえてくる爆竹の轟音が鳴り響くのを尻目に、インドア友達と家で桃鉄をしながら夜までやり過ごすのが恒例になっていた。



そうやって毎年毎年をやり過ごして、私が中学生になったばかりの頃、夕飯時の母との何でもない会話の中で「そういえば近所の子どもたち、裏で見なくなったわねえ」と母が急に独り言みたいに呟いたのを覚えている。
いつの間にか裏のどぶ川でザリガニを見る事自体が殆ど無くなってしまって(多分乱獲し過ぎたんじゃないかと思う)気付くと松田くんのお兄ちゃんやら何やらがザリガニを釣りに行く姿も、見かける事はもう無くなってしまっていた。
その頃になるとお祭りの日がやって来ても、家まで爆竹の音が響いてくる事もだんだんと少なくなって、随分と静かなお祭りになっていた。私が中学生高校生だった頃の小学生は、ムシキングとかデジモントレーディングカードとかのもっとスマートな遊びをしていたみたいだったから、屋台に大量の爆竹が在庫として余っているのを見た事もあった。


それからフミヤ先輩とは私が中学2年生だった頃に友達の家から帰る途中で偶然出会い、「自転車を改造した」と言ってライトに緑のビニールテープを貼ったママチャリを見せてくれた時以来、もう何年も会っていないし、その後の噂も聞かない。
松田くんのお兄ちゃんとは2年くらい前にバイト先で会った。あちらは私だと気付いていないみたいだったが、けいおんのロゴが入ったトートバックを肩からぶら下げていたから、声はかけなかった。
あの頃釣ったザリガニはどうなったのだろうか。まだ爆竹の貯蓄分は残っているのだろうか。まだ戦車のメンテナンスは欠かさず行っているのだろうか。結局何も聞けずじまいだった。聞いても多分すごいイヤな顔すると思うけど。


あと「持っていればチヤホヤ」という感じでも無かったけど、道端やら畑やらに落ちているBB弾をとにかく集めている友達がいた。
その友達は銃器やら戦車やらが大好きで(私の地元そんなヤツばっかりかよ)「将来エアガンを買った時の為に」とか何とか言って、今まで拾ってきた山ほどのBB弾を私に見せてくれた事があった。何故か私も彼の真似をしてBB弾拾いに夢中になって「あの家の高校生はエアガンを持ってる噂を聞いた事がある」「2階の窓から撃ったとしたら少し離れたこの辺に落ちてるはず」「土日の夕方以降が狙い目」と情報交換も欠かさない程熱中した。


ただその数ヶ月後、遊戯王カードを買いに近所のおもちゃ屋に出掛けた時に、何とはなしにいつもは絶対に覗かないプラモデルコーナーに入ってみると、BB弾が1000発500円とかで売られているのを遂に見てしまった。
あんなに地べたを這いつくばって探したあのBB弾が…エアガンを持った高校生に撃たれるんじゃないかとドキドキしながら拾いに行ったあのBB弾が…あまりの欲しさに「20個と今日の給食のバナナ交換してくれ」と通貨代わりにも使ったあのBB弾が…。膝から崩れ落ちそうになるのを何とか我慢して、次の日の給食でありったけのBB弾とデザートを交換し、私のBB弾収集は幕を閉じた。


因みに最初にBB弾を集めていた友達は中学の卒業文集で「原稿用紙のスペースが埋められないので僕の好きな戦車の名前を書いていこうと思います ナンニャラフニャヤBー1、ポゲロッチョコヌヌポZー12、デッポポンスッポポCZJ…」と卒業文集の2/3を戦車の名前で埋めた奴だった。勿論もう会ってない。