私が「健康診断に親を殺された」だとか

健康診断に行ってきた。


不規則な睡眠と乱れた食生活の合わせ技一本で作成された貧相な身体つきと、パワプロでの絶不調時の巨峰の様な顔色をぶら下げているせいで、初対面の人間100人中98人からの第一印象が「すぐ死にそう」でお馴染みなのが私だから(もう2人は「私でも殺せそう」だ)出来ればわざわざ自身の不健康具合を確かめに車を出すのは大変億劫だったが、バイト先が従業員全員にお金を出して用意してくれた場だった事もあって、渋々ながら足を運んだ。


健康診断及び身体測定が小さい頃から苦手だ。
私が「健康診断に親を殺された」だとか「座高計を舐めたり口に入れようとした時に知らない人のケツの跡が残ってるのが気持ち悪くて嫌」だとか「これでは『本物』の私が病気になってもクローンである私が不健康体で血液や臓器を提供できない事がもし明らかになった場合、懲罰として国からの配給食料がまた減らされるか、最悪廃棄処分にされるから辛い」といった理由があれば私としても言い訳が出来るのだが、「不健康具合を病院で怒られたくない」が理由だから、仕方ないけど私が不健康体なのは私のせいだと認めなければならない。どうせ去年みたいに採血検査のテーブルで腕をペチペチ叩いても全然血管が浮き出てこないデブの隣で「ちゃんとご飯食べてください!」と問診で知らないおばさん看護師に怒られるのだ。




小学校の頃から新しい学期が始まると、何かとブリーフ一丁の姿で体重計の前に並ばされたが、この頃から身体測定に何となく抵抗感があった。


「私はこの数年において男に抱かれた機会といえば、強引で一途な若社長がOLの私を勘違いの果てにホテルに連れ込もうとする内容のティアラ文庫から出版された600円の本の中だけ」の顔をした保健室の先生の手引きで半裸にされた我々児童たちが慰み者にされる事も嫌だったが、男性ホルモンの出来具合が早熟気味だった私の肉体においては『ガリガリ&毛深い』という凸凹コンビが常に共存していたから、体重計に乗る度に養護教諭の荻野先生も常に半笑いだ。
アレは確実に「私が小学生男児に期待していたのは『おちんちんから変なネバネバした物がでてくるんだけど、コレって病気なのかなせんせい…』『大丈夫よ…それは大人になるって印なの』『おとな?』『そうよ…』だったのに、何なんだこの体重計に付着したすね毛を『フッ!』と息で払う現実は」の半笑いだ。


「健康が何よりの宝だね」なんていう言葉は、その頃のブリーフ一丁にされた私だったら「じゃあ健康でポケットステーションが買えるのかよ!」と鼻で笑っていただろうが、今は健康でいることの有り難さが身に沁みてよく分かる。『健康』は人に生きる活力をくれるけど、ポケットステーションはそうじゃない。発売3年くらいで対応ソフトも全然出なくなったし。


で、今日の健康診断の結果だけど…意外に
『全体的にすこし悪い』で済んだ。
身長が2ミリ伸びて体重がまた減って(係の人から「これでいいですか?」と聞かれて「?」となったけど、今考えるとアレは「こういうとんでもなく痩せ型体型で着てる服もボロボロの人間は貴方の人格どころか育ちの悪さひいてはご家庭の評判をも下げる恐れがありますしもっと世間体というのを気にした方がいいと思いますが、いいですか?」の「いいですか?」だ)視力が眼鏡ありでの0,4で『要再検査』になったくらいで、あとは異常なし。


最難関だったはずの問診も「1日に飲むお酒の量ですけど、去年と同じ人並みくらいでいいですか?」「あ…」「ここ3ヶ月間で病気になったり身体に異常感じたりはありませんね?」「あ…」「生活習慣を見直す意思はありますね?」「あ…」で今年は流れ作業で進んだから、私はどうやら健康体であるらしかった。よかった。