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きっと人間の生活においての全ての事象に「問題」が含まれている

問題がある。
問題だらけが人生だ。


きっと人間の生活においての全ての事象に「問題」が含まれているといっても過言でない。
物を口にすればカロリー計算、財布を苦しめる食費の存在、睡眠を取れば6時間半睡眠をキープする為に趣味の時間に都合を付け、深夜に粗末な自慰が行われる。
かといって家を出て労働すれば、上司の滑舌の悪さで指示の8割は聞き取れず、3回目の「すいません、もう1度いいですか?」は完全に舌打ちされ、ようやく聞き取れた『パートの○○さんの子どもさん風邪引いちゃったみたいだから明日は2時間早く出勤して』で翌日の自慰はカットされる事が決まり、家に帰れば家族からオナティッシュがトイレに詰まっていた事を聞かされる。
「問題」に立ち塞がられてばかりが人生だ。


しかしそもそもこの私の『主観』という物が問題であるから、全ての事象が「問題」に見える、という可能性もある。
カロリー調整の為に始めたランニングが、いつの間にか一生の趣味になる可能性もある。
節約の為の自炊が調理スキルを上げる要因になり得る。
2時間長く労働できるから翌月の収入が1500円上がる。
オナティッシュ起因のトイレの水詰まり解消ついでで便器をピカピカに磨き上げる時もきっとある。問題を問題と捉えてしまう事が「問題」であるのかもしれない。
しかし「じゃあ今日からポジティブシンキング明るく楽観的にテンション上げて生きていきましょう!あざっす!」とは“出来ない”私に問題を問題と捉えてしまう全責任があるかと聞かれれば、絶対にそんな事は無いだろう。


ではどこの誰に責任があるかといえば、コレは明らかに人間創生時の設計ミスだ。
人間に「自意識」を持たせたり、歯茎の変な所からも親知らずが生えてきたり、親指と人差し指の間の皮膚がグシャグシャで雑に作ってあったりと、何かと人間には明らかな不備があるから、恐らくこの『主観』『捉え方』の問題もどうせ設計ミスの一つだ。パーソナルな問題では絶対に無い。この人間的不備は特定の個人、団体とは一切関係がありません。


『自身の主観』の足りていない部分といえば、そこに『感情』や『思い込み』が多分に含まれるという点だ。そして『人間の視点は一つしか無い』というのが、ここで取り上げたい、人間が“足りない存在”である事の証明だ。
『物の見方』というのが千差万別、人それぞれならば、人間の視点を目、網膜がある位置のみに留めた神に、勿論責任はある。スカイリムのように、メタルギアソリッドの様に、1人称視点と3人称視点の切り替えが容易にできるのがヒトであったのならば、人は物事を俯瞰的に見て判断する事が簡単にできたはずだ。俯瞰的視点の持つ『冷静さ』さえあれば、オナティッシュを泣きながら便器から掬い上げる事になる人間の数はグッと減ったはずなのだ。


貯蓄を切り崩して買い物をする寸前にも、きっと3人称視点は「どうせ結婚も出来ず財産も築けないのだからこういう小さい所から我慢していく方が将来の為だ」と65歳で6畳一間1人暮らしの『最低限の老後』を保証してくれるだろう。
無二の親友から「絶対に儲かるから浄水器を買ってくれ」と頼みこまれクズ野郎と罵りアドレス帳からまた1件連絡先を消す前に、きっと3人称視点は「一歩間違えたら自分もこうなる可能性はある」と気付かせてくれるだろう。
自慰の途中に自身を俯瞰出来れば、きっと3人称視点は「もういい加減に皮オナは卒業しよう」と新たな性の階段をまた1歩、踏み出すことを促してくれるだろう。


労働を「辛い」「金さえ稼げればどうなったっていい」と無農薬野菜の様なそのままな味で捉える事が『正しい』とは決して認められない社会で、物事を客観的、俯瞰的に冷静な視点で見る事さえ出来れば「やりがい」や「生きる価値」といった、社会に適合した『結論』を自身の中で芽生えさせる事が出来ていたかもしれない。自身の感情や思い込みから一つ外れた視点を持つこと。3人称視点の持つ冷静さこそが、ヒトの生活で最も必要であったのだ。


しかしせめて、今人間に常備されているこの「強制1人称視点」だけは何とか出来なかったのだろうか、とは思う。「目を開けること」と「目を瞑ること」のON・OFFしか出来ないなんて、私の遊戯王カードを盗みまくった大滝くんでさえ「盗む」「盗まない」と「一回対戦して泳がせてみる」の選択肢はあったのに、人間の視界は絶対的に不便だ。『視界ON』にすれば「今日の無くなったカード」が可視化され、『視界OFF』にすれば「アイツ目を瞑ってる!」と盗られる隙を自分から作る事になってしまう。3人称視点が人間の容量的に無理があったのなら、せめて「異常なまでの警戒心」とかを常備させて欲しかった。もしくは「遊戯王カードを盗もうとするとガス管を咥えたくて咥えたくて堪らなくなる」のどっちか。ピンポイント過ぎる。