何事においても「適度」という物がある

何事においても適度という物がある。「食事量」「睡眠時間」「カフェインの摂取量」「1日に吸うタバコの本数」「対人関係」「お風呂の温度」「椅子の高さ」「趣味に使うお金」「親に小言を言われない程度の借金」…。


適度に適切に、成人としてのモラルを駆使しながら、時にはマナーを弁えながら、個々人が個々人にとっての <ちょうどいいライン> を自覚する必要がある。人間というのは基本的に集団を形成して生活していく物でもある事だし、我々が子どもの頃にお父さんお母さんから言われたはずの『周りの人に迷惑をかけるな』を厳守するならば、やはり自己精神の自制というのは、人並みの生活を送る上では必須だ。


例外としては、マリオパーティ2が小学生の頃に発売された頃、「3Dスティックの回し過ぎ」で掌を血だらけにして、翌日右掌を包帯でグルグル巻きにして学校に行った時、ゲーム好きの友人たちが、同じようにして利き腕の掌に包帯やら絆創膏やらを貼り付けてたのを見た瞬間。
ワンピースでアラバスタ王国編クライマックス、ルフィ海賊団がビビ王女とカルガモのカルーを最後に船上から見送るシーンの様に、掌の傷を皆で無言で頭上にかざして感動した事もあったが、(時系列が無茶苦茶だ)何かしらの「やり過ぎ」で結ばれた友情やら信頼やらは「寝不足による目の下のクマ、ニキビ、下がる成績」とか「何かしらのメッセージ、または合図なのか…?と不安がる4年2組担任の今井先生」といった代償が必要な場合も多いから、個人的にはもうあまり実践したくないし、オススメしない。


しかし、「自制できる人たち」というカテゴリがあるのなら、「自制できない人たち」というカテゴリも、やはりまた存在するだろう。
「ついついパチンコに行って今日も数万円負けてしまう」、「ついつい禁煙していたのに煙草に手が伸びてしまう」、「ついつい勉強するはずが部屋の掃除を始めてしまう」…。
この「ついつい」が、計画的、かつ調和の取れていたはずの日常のバランスを少し崩す事になり得る訳であるが、さりとて常に自制、自重の連続である日常も、これはこれで味気なく感じてしまう。
壊しては作り、壊しては作り、また壊しては作り直す。そうやって日々にも「適度」を持って、羽目を外す時と外さない時のメリハリを付けて繰り返すのであれば、「誓約を設ける」という事こそが、何よりの自由を指すのかもしれない。


ただ「その『自由』は本当に『自由』と呼べる物なのか?」と聞かれると、確かに疑う余地は充分ある。
例えば学校生活における「自由時間」ほど「不自由」を感じる時間は無かった。2時間目と3時間目の間に設けられた「小休止」として、20分の自由時間が私の小学校では設けられていたが、たった20分ぽっちで一体何が出来る。
「さあ今日は何をしよう」と考えた時点で大体5分くらいは経過してたし、クラスの運動神経の良いカースト上位の連中は元気よくダッシュで体育館でドッジボールで3投げ4投げ、終わったらまたすぐ走って戻ってくるという、その溢れんばかりのバイタリティを狂気としか思えない小走り、そして投擲に費やしていたが、かと言って「じゃあ私も参加させてくれ!」と声を掛けてみても「ジャンケンで負けた方がコイツを引き取ろう」「せーの!ジャンケンポン!」「あっ3回勝負!3回勝負にしよう!」「今、後だしした!したって!」「じゃあ今の無しで」「イヤこっちが1回勝ってたんだからもうコレで決まりでいいじゃん!」「何で今のヤツがカウントに入ってないんだよ!3回勝負って言ったキーンコーンカーンコーン!」で、私の意思が彼らの自由を制限していた様だったから、やはり「自由」は「誓約」とイコールだ。多分。そうやって適度な誓約下においては、適度な自由は保障されるのだ。多分。


ただ我々は集団で生きる以上、誰かと生活の一部分を共に過ごす事もあり得るだろう。その場合に頭を悩ませる事になるのは「タイミングの不一致」だ。
個々人によって目に映る事象が「自制するべき場面」であるのか、「羽目を外していい場面であるのか」という判断はそれぞれ異なる。こういう場合、役に立つのは人間関係における万薬となる『信頼』だろうが、大抵人間が羽目を外す時といえば「酒」か「金」がほぼ必ず絡んでくるだろうから、やっぱりここでも適度で適切な信頼が必要だ。


どうせ信じた挙句によく分からない浄水器を買わされたり、どうせ信じた挙句に深酒に付き合わされて全然飲んでないのに割り勘4000円払わされたり、どうせ信じた挙句に田舎に送り出した彼女から突然ビデオレターが送られてきたりするのだろうから、何においても必ず疑いを持って「距離」を取る事は大切だ。何事にも距離感を取りつつ、惑わされる事なく、主観、俯瞰を巧みに使って自身の「適度」を守っていく。それが出来れば「名義だけでもと要求する親友」や「もう彼女が戻ってこないことを知ってズタズタに心は傷付けられたはずなのに、何故か全く収まらない勃起」にも、きっと対処は可能なはずだろうから。