オタクのできる楽器といえばパッと思い付くのは一般的に

実は楽器ができる。
オタクのできる楽器といえばパッと思い付くのは一般的に「マックのポテトを手掴みで食べた時に指についた塩を舐めとる時のチュパ音」「脂ぎった顔でメガネをクイッとする時に聞こえる鼻の脂のヌチャ音」くらいだろうが、私はオタクでは無いので違う。


小学校4年生の時にだけ吹奏楽部に属していた。私の在学していた小学校は、4年生から強制で部活に加入しなければならなかったのだが、何故か選べる部活が「陸上部」か「吹奏楽部」の2択だった。
私は幼稚園の頃から運動神経の無い子供であったから陸上部はちょっと遠慮したかったし、日曜日になる度に友達の熊倉くんが「暇なら野球しに行こうぜ!これから迎えに行くし!」と電話した後に汗だくで自転車を漕いで家まで誘いに来てくれたのを、「そんなに汗だくなら休憩がてらスマブラしよう」とぽたぽた焼きと力水を両手に持ちながら誘って、結局6時間ニンテンドー64のコントローラーを毎週握らせたり、玄関先にすでに仕込み済みのおばあちゃんを立たせて「マゴ サッキ ハハト イッショニ カイモノ イッタ」と何度も復唱させ、熊倉くんがションボリ帰る様子を2階のカーテンを少しだけ開けて確認する程度の、どちらかといえばインドアな子供だったので(書いてて気付いたけどインドアというか只の「クソの様な子供」だ)運動神経を良くしようとか、そういう向上心も無かったから、消去法で吹奏楽部に入った。「スマブラ64部」とか「力水貯蔵部」とか「次の日学校で申し訳なさそうな顔して謝ればすぐ許してくれるからこの顔だけはとにかく覚えてこよう部」とかがあれば入部していたかもしれないが、無かった。


当時の私が選んだ楽器はトランペットでもクラリネットでもサックスでもなく、トロンボーン。あの持つ所が伸びたり縮んだりするアレだ。イマイチどんな音が出るのかイメージしにくい地味な楽器の一つではあるが、「地味だから」選んだ。
トランペットやサックスは部活内でも担当する人が多く、合わせて演奏する際も指揮者から見て前目のポジションにいるから、とにかく目立つ。学校の卒業式やら何やらの発表の際には、他の児童にも父兄の方々からにも丸見えだ。ついこの前、図工の時間に書いた絵を教室の壁に貼っていく簡単な発表会があった時に、好きだった娘が「なんでみんな足の関節が逆方向に曲がってるの?」と私の絵を指さしながら他の女子友達と一緒に笑ってるのを見たばかりだった私にとって「主役を張る楽器」のプレッシャーは大き過ぎた。
だからパートの人数も少なく(確かトランペットの3分の1もいなかったと思う)、オーケストラの後ろに位置し、なんだかよく分からない伸びるアレでゴネゴネやってるだけに見えたトロンボーンは、何だかその時の私にとって収まりが良かった。「あの伸びるヤツをマジックハンドみたいにして操りたい」なんてかわいい事も夢みてたし、仲の良かったクラスメイトも一緒にトロンボーンを選んでくれたので、それも心強く感じた。


ただ、後ろの方でよく分からない伸びるヤツでゴネゴネする以外は、前に座ったクラリネット担当の岩みたいな顔の先輩女子部員の後頭部をゴツンとやって睨まれたり、部活内では鼻の横に特大のホクロがある吹奏楽部顧問長島先生こと『鼻のウンコがほっぺに擦り付け女』の渾名でお馴染みだった彼女のスパルタ指導で岩女子部員が泣き出すまで徹底的に練習したりと、実際楽しかった思い出がそんなに無い。
長島先生が「家でも練習しなっさーい!」と指揮棒を何本も叩き折って咆哮するので、嫌々家に楽器一式を持っていって練習しようと思ったら、私のマウスピースチュパ音の「プー」でおばあちゃんが何故か死にかける程笑い転げたのも本当に腹が立って仕方が無かった。
特に嫌だったのは、ある日「そんな音はトロンボーンの音じゃありっませーん!」と長島先生に怒られながら音楽室から一望できるグラウンドをふと見ると、陸上部の顧問から見放されている「記録を出す事を目的としないもうどうでもいい連中」に属していたクラスメイトたちが、楽しそうに缶けりをしていたのが目に付いた事だ。
「そういうカースト最底辺にも居場所がある部なら早めに言えよ!っていうか遊んでるよあいつら!」となんか泣きそうになったのを覚えている。


で、その辺りで「たまには運動でもしてみるか」と久々に熊倉くんの誘いに応じて出てみた野球で思いっきりケガをしてしまい、ギプスで右足が固められてしまったのをいい事に「傷が疼く」で半月くらい部活をズル休みしていたら、案の定長島先生に「ズル休みは辞めろ!」と怒られたので「人が大怪我したのにズル休みとはなんだ!」と心の中で逆ギレした時くらいで、完全に心が折れてしまった。
結局次の年からは私もグッダグダ缶けり陸上部の仲間入りとなったから、それ以来トロンボーンには手で触れてもいない。一緒にトロンボーンを選んでくれたクラスメイトを吹奏楽部にひとりぼっちにさせてしまったのが少し心残りではあったが、彼も私が中学を卒業する辺りで亡くなってしまったから、謝る機会すら無くしてしまった。


トロンボーンがマジックハンド代わりになって云々」も、「どうしても手の届かない様な高い所に欲しい物がある。マジックハンドは手元に無いが、トロンボーンならある。」という場面もここまで二十数年生きてきたけど、無かった。もしあっても多分子どもの頃の私でも椅子を持ってきたと思うから、いよいよ私のトロンボーン活用法も底が見えてきたが、どうしても桃鉄を家でやりたかった日は「今日も部活があるから!」で熊倉くんの誘いを何度も断ることにはまあ成功したから、良かったのかな、と今になって思う。ひとり桃鉄楽しかったし。