ここはひとつ「お互い様」という事で手を打とう

数週間前に「MTG熱が再燃している」「バイト先で一人うつ病の同僚が辞めたのでシフトが少し埋まって喜んでいる」「奨学金の返済猶予も審査が通りそうで資金に余裕が出来ている」とテンション高くご報告させてもらった訳ではあるが、結論から言うと、数週間経った今、完全にMTG熱は冷めている。数週間経った今、バイト先のパートのおばちゃん連中のうつ病で辞めた人の心ない悪口をまだ聞かされたり、数週間経った今、「これで好きな食べ物をいっぱい食べるぞ!」の「これ」の部分で返済額自体が減った訳では無い事に気付いたりと、だんだんと地面に膝を付く姿勢になっていく案件はドンドン飛び込んでくるが、これらは特に今回取り上げたい事とは関係ないので、別に書かなくてよかった。
只々嫌な気持ちになる書かなくていい事を読んで、読んだ貴方が嫌な気持ちになるのなら、ここはひとつ「お互い様」という事で手を打とう。貴方は特に聞きたくも無い様な話を聞かされ、私は現状を振り返る事で嫌な事を思い出した。よし、気を付けような、お互い。



面倒な参加者の方がいたり(面倒な参加者の詳細については前回記事をご覧ください)店長が「もう気が済んだでしょ もうオタク殺すよ」と12月以降に大会の申請がお客さんから無い限りスケジュールに組みこむ予定が無い事を伝えてきたりと、私自身が段々とフェードアウトしていきそうな要素はあるにはあった。
しかし決定的だったのは、どうやら前述した面倒な参加者の方(面倒な参加者の詳細については前回記事をご覧下さい)が、高校の同級生だった様なのだ。
いや、実は前回の時点で「もしや…」という予感はあった。ただ、口に出してしまうと、それが真実味を帯びてしまう気がして「無かったこと」に何とかならない物かと、ここ数日は何も考えない様にしていたのだ。
だけど結局それは明らかになってしまったのだから、これなら前回記事からずっとネタにして馬鹿にしておけば良かった。クソ。多分私がMTG大会の運営をする事も、ブログやTwitterで取り上げる事もこの先無いと思う。それくらい冷めに冷めた。



どうしてこんな短期間で熱が冷め切ってたのかというと、それは件の面倒くさい参加者と私とで過ごした高校生活そのものに問題がある。私は当時は工業高校に在学していたのだが、元々工業系に進む気は全く無かった。
小学校から中学校2年くらいまでは、私はなまじっか勉強が出来る子供で、「勉強なんてしないでも余裕余裕」と高を括っていた。試験前に机に向かう事なんてしなくても、大抵のテストでは殆ど100点満点。
だが、中学校も暗記科目が少しずつ増え、努力しなければ結果なんて付いてこない時期に少しずつ入っていく。時間の経過と共に教科の難易度が上がっていくのに、いつの間にか学校の勉強に全く付いていけなくなっていた。クラスの席替えで私と隣になった女子が泣き出したり、女子バレー部連中の「女だって言いたい事は言わなきゃ!」みたいなクラス女子への励ましとスローガンが私を意味もなく苦しめた事もあって頭の中が勉強どころで無かったとか、言い訳めいた事を言おうと思えば言えるのだが、私ももう大人だから、そんな事は言わないし思いもしない。全く気にしていない。
で、そこからでもちゃんと勉強をしておけばまだ間に合ったのかもしれないが、邪魔をしたのは私の(今考えればそんなの無いに等しい)無駄に大きく育ったプライドだ。
「お前は頭が良いんだから何とかなるって 大体あんな頭の悪そうな奴らより成績が低いなんてあり得ないよ、成績だけが全てじゃないよ」と、プライド君の野郎が私をなんとかして机に向かわせない様に悪戦苦闘。で、また下がる成績。で、また「成績なんて意味ないよ」とプライド君、そしてまた下がる成績…の典型的バカ無限ループに中学3年の私は陥った。成績が下がってる事すら認めたくない私もいた。



「いい加減ヤバイ」とプライド君を泣きながら六角レンチで殴り殺して受験勉強を始めた頃には、もう時すでに遅し。
三者面談で担任の教師の口から出るのは、私が希望してた学校よりもどれもランクが下の学校ばかりだったし、普通科志望校の『合格判定率50%』との数字にビビった親が「お前は幼稚園のころゲームを作る人になりたいと言っていたから工業高校に行け 金を払うのは親だ」の一言で(足をバタバタさせて相当抗ったけど全く聞き入れてもらえなかった)志望校より確実に入学できる偏差値の工業高校に進学が決定したのだ。
結局、その工業高校でもプライド君は邪魔をしてきた。ハンダ付けの実習やら電気やら電子やらコンデンサーやらと元々興味の無かった分野の勉強をするのも凄く馬鹿らしかったし、興味が無いから話を聞く集中力も続かない。ああいった工業系の科目も例に漏れず、1年次で習う基礎を理解できないと、もうそこからはずっと置いてけぼりになる。
「社会に出ても役に立たない」「自分がやりたかった事じゃない」と、それまで努力をしてこなかった自分自身への言い訳ばかりで、毎日毎日学校が終わると逃げる様に帰宅していた。



何より私のクラスはイジメが本当に酷かった。例えそこそこ勉強してきても、クラスで1位2位の成績の奴は皆DQNカンニング協力を強制されていて、いじめられっ子の机や教科書を3階の教室から投げ捨てたり、新任教師の授業中に15人くらいで奇声をあげ続けてまともな授業を1回もさせなかったDQNの方が、私より成績がダントツに毎回良い。
「いつもはチャランポランしてるけど、やる時はやる」と担任がいつも連中を褒めるのが本当に馬鹿らしくて、中学時代よりも拍車を掛け、成績はグングン下がっていった。
その頃になると「自分が本当はただの早熟型だった」とか「学校じゃない別のところに居場所を求めたい」とか、少しでも心を立て直そうとする事すらも無くなって、家でも学校でも、とにかく何も考えない様にいる時間がずっと続いた。
高校を卒業した後は、進学する事は決めていた。学校生活というのをちゃんともう一度体験しておきたかったし、家庭の事情もあって、自分の事を誰も知らない様な場所に行ってしまいたかった。
で、そこからまた数年経ち今に至って、今回のMTG大会で、その高校の同級生と会ってしまったのだ。相手も私を覚えていた様で、前回の記事の投稿から今日の間に開かれた大会で私に素性を明かし、話かけてきた。
この同級生自体には別に思い入れも無いし交流も全く無かったが、これからまた大会で会う度に、高校で過ごした3年間の思い出がチラ付くのは、ちょっと辛過ぎる。辛い辛いと言いながら嬉々として小さい頃の思い出を今まで書いてきたが、これはまだちょっと消化しきれてないヤツだ。
…こんなウソみたいな感じでこの1ヶ月のMTG大会運営編が終了しようとしてるの、ちょっとあり得ないでしょ?あり得ないでしょ?
…でも終わります。以上MTGはじめての運営大会編でした。ピピー。