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あらゆる現象における諸悪の根元が「デブだから」であるのにも関わらず

デブが許せない。なんなんだアイツら。
居酒屋で白飯を頼もうとするのは必ずデブ。
走らせれば「乳首がシャツに擦れて血が出てきた」とぬかすのもデブ。
街中でチェック柄のシャツを着ながら黒の扇子で脂だらけの顔を扇ぎ出すのもデブ。
電車に乗れば「臭い」「デブが汗臭い」「臭いデブは死ね」「バキュームカーかと思ったらデブだった」「親族にデブがいなくて本当に良かった」「私がデブだったらとっくに自殺してる」「デブと同じ脊椎動物だという事が恥ずかしい」と周りの乗客がTwitterに一斉に報告する事態を発生させるのもデブ。
特に私が許せないのは、黒縁メガネをかけシルクハットみたいな帽子を被るオシャレ気取りデブ。クソデブ駄デブがいくら見なりを整えたって「デブ」から「ゴチャゴチャしたデブ」にカテゴリが変わる事にしかならない、という事をいい気になってる文系親からの仕送り15万都内在住1LDK大学生デブは理解してほしい。なんせ目障りだから。


私の人生で、「善意が一欠片でもあるデブ」に出会えた事は1度だってない。私が小学生だった頃にお年玉を親戚から貰うと必ず「1万1000円にして返すから1万貸してくれ」と頼みに来て、40歳になるとマルチ商法にハマり多額の借金を背負う事になった父もデブであったし、中学生だった頃に私の机を漁ってテストの答案用紙を黒板に貼り出したり自殺した友達のお葬式で女子がいる前でだけ嘘泣きを始めた漆原くんもデブだった。


彼らに共通して言える事は「自分に甘いこと」「金に汚いこと」「常に弱者の敵であり、強者の味方であること」「人の心を踏みにじる事を何とも思ってないこと」であり、その出で立ちたるや21世紀の技術を駆使したとしても、埋め立て地としてもバラバラに刻みチップとして再利用する事も出来ない様な「生ける屍」、正に燃えないゴミである。その弛んだ脂肪と弛んだ魂は一刻も早く丹念に燃焼、そして消滅させる事がこの社会にとっての何よりの『善』になり得るはずなのだ。しかしそれでも、この世のあらゆる現象における諸悪の根元が「デブだから」であるのにも関わらず、まだ社会がデブをある程度受け入れてしまってる事に納得いかない。


ある一つのマイナスイメージにプラスアルファとして「デブだから」が付与すると、2乗3乗にもその印象が悪くなるのにも関わらず、それを「ぽっちゃり系」だの「体はデカくて力持ち」だの「デブスでもエロかったらギリギリ良い」だの『デブ』を何とかオブラートに包もうと必死な社会が、私にはとんでもなく哀れに見える。


もっと正直に『デブは醜い!』と声を揃えて叫ぶべきだ。皆が「デブなんて物は自らの体調管理も上手く出来ない様な人間どもの集まりなのだから『どこを触れば気持ちよくなれるのかを最近知り始めた赤ちゃん』くらいに考えておけばよい」という共通認識を持つべきなのだ。あらゆる物にあらゆる現象にあらゆる肩書きに【でもあいつ、デブだからなあ…】という偏見めいた物を持つくらいで丁度いいくらいのはずだ。この社会はもうデブに慣れ過ぎてしまった。


つまり何が言いたいかといえば『皆さんにはデブにもっと偏見を持ってほしい』。コレが今回のテーマである。例えば、単なる【国公立大学卒業】の人間と【国公立大学卒業】にプラスアルファとして【デブ】が加わわった人間と、どちらに嫌味がないか。


…もう完全に前者である。明日の食卓に肉が出るかどうかを考えるので精一杯で、歩行時には一歩一歩「右足を出したかたら、次は左足を出さなきゃな」と意識しなければ生活する事もままならないのがデブだ。即ち、国公立大学卒業でデブの人間は全員裏口入学か替え玉受験でセンター試験を突破したドクズ共である事が分かる。国公立大学なんかに入学できる訳がない。


「デブに助けられる」または「デブに負ける」という展開も避けなければならない。「お腹を膨らませたり凹ませたりしないとなんだか変な気分になってくるぞ?不思議だなあ」と疑問に思った10年後、成人を迎えてから病室の年老いた母に「それは呼吸よ」と教えて貰わなければ、ずっと人体の不思議に首を傾げているのがデブである。そんな呼吸困難デブに何か一つでも劣っている所、負けている所などは存在してはならない。


私も『デブの父に養われている』と自覚する度に、ストレスが溜まって父の部屋からBUBUKAを盗んで憂さ晴らしてたし、漆原くんが女子がいる前でだけ廊下でワザと転んだりしてチヤホヤされているのを見る度にストレスが溜まり、悔しさで唇の皮や爪を食ってるのをまた女子に発見されて「キモい」「アイツが隣の席なんて最悪」「漆原と席変われ」「毎日休め」と泣かれたりしていた。そんな事態をこれからの21世紀に生きるガリガリオタクくん達に、絶対に味合わせたくは無い。全ての人間が「デブはクズ」と捉えることさえ出来れば救われる事になる小学生中学生は、今この瞬間だって山ほど存在するのだ。


「痩せろ」という事を言いたいのでは無い。せめて「私は恥ずかしながらこの様な醜い体型をしており、コレも全て私の弛んだ食生活が原因です。『怠慢』の権化として皆々様方のお目を汚す事になってしまいますが、どうか呼吸や排泄といった基本的な生存活動だけは、続けさせていただきたく存じます。慎ましく生きていきたい、それだけが私の願いなのです。」と、『たかがデブ』という気持ちを持って、本当に少しでいいから日常の表舞台からその身を引いて欲しい。デブでしかいられないのなら、せめてその姿を謹んでほしいのだ。


聡明なガリガリ成人オタクの皆さんは(私のブログを読む人間にはデブはいないという前提で書いています)ご存知無いかもしれないが、デブにもどうやら我々と同じ様に『考える機能』『感情を感じる事のできる機能』が搭載されている様なのだ。「ヒューヒュー」という鼻音を発生させないと呼吸すらままならない肉塊に、まさか自我があるなんて誰も思いもしなかっただろう。


どうか自我があるのなら、この言葉に耳を傾けてくれ。全てのデブは柳の様に生きてくれ。全てのデブは仏教徒の様に無の境地に至りながら生きてくれ。諸悪の根元がデブならば、デブこそがこの世に平和をもたらす存在になり得るのだ。立ち上がれデブたちよ!平和の為に!宇宙の為に!あ、でも漆原くんはずっとクソデブのままでいいです。お似合いなので。