出来ればPKで尿意を我慢できるFWを応援したい

結構怖がりだ。ホラー映画や怖いゲームなんか勿論見れないしプレイ出来ないし、どうしても鑑賞しなければならない場面に出くわしたら必ず「お化けなんてないさ!お化けなんてうっそさ!」か「バーリーバーリ!さーいきょう!ナーンバーワン!」を歌う様にしている。後半のは嘘だ。


例えばこの世に「恐怖値」という物があっったとしよう。恐怖値があるなら恐らく「恐怖値測定機械」も存在するはずだ。その個人が、どれだけ恐怖に耐えることが出来る人間なのか、どれだけ恐怖に耐性を持っている人間なのかを測定する事が出来る。ひとりひとりのオデコに恐怖値測定機械をかざすとバーコードを読み取る様にして『ピッ』の音と共に数値が液晶に表示される。


で、社会においては「ここ一番に強い、チャンスを確実にモノに出来る人」とか「緊張やプレッシャーを感じにくく、どんな場面でもどんな相手にでも自分の考えを正しく伝えられる人」の様な『物怖じしない性格の人』がどうやら重宝される傾向にある。ということは「恐怖値が存在する世界」であれば、それは就活やら何やらでは重要な要素にきっとなり得る。


「社長やら専務やらを目の前にした会社の重要な会議で『前世は仔牛なのかな?』と部下に震えた下半身を不思議に思われながらプレゼンを続ける37歳」や「勝利すれば優勝が決まるJリーグ最終節後半ロスタイム、味方が得たPKで『コレさえ決めれば優勝』の緊張でハーフパンツからオシッコを漏らしながらシュート体制に入るプロサッカー選手」が同僚にいたり応援するチームに所属していたら、やっぱり嫌だ。出来れば前世の記憶を大事な局面で思い出さない同僚と仕事したいし、PKで尿意を我慢できるFWを応援したい。恐怖値が導入された世界においては、運動神経があるだけではダメであるし、勉強が出来るだけでもダメだ。


そうなってくると基準が必要だ。「一般的な男性がギリギリ耐える事のできる恐怖体験」というのは何だろう。この前友達と銭湯に行ったら筋肉ムキムキの190cmくらいある全く面識のない大男が私達の方にやってきて「ゴシゴシある!?ゴシゴシある!?」と聞いてきた時は皆一斉に逃げ出したから、多分コレがギリギリアウトの境界線だ。


「1ゴシゴシ」を偏差値50として、自分なりに『怖い出来事』を考えてみると「広い劇場内でたった一人でホラー映画が見れる」「ダークソウルの下水道に出てくる気持ち悪いカエルを飯食いながら殺せる」あたりで偏差値45~48。「週3でハローワークに通える」「『コレあっためる?』とタメ口の店員に聞かれても注意できる」くらいが偏差値40~43程度だろうか。しかし私が耐えられる恐ろしい出来事といえば「街を歩いてる所で『誰かに見られているのでは?』と思いながらも何とかしてチンポジを直してみる」か「店員さんに『すいませんクーポン持ってます』と言える」くらいなので、多分私の恐怖偏差値は18~20だろう。


『ゴシゴシある!?』で死ななかったのが今思えば不思議だ。今更ながら自身の臆病さに愕然とする。『いやらしさ』だったら「小学校4年生だった時に遊びに行った市民屋内プールの流れるプールにメチャクチャ巨乳の女がいたから流れに逆らってまで何度も何度もその娘の前を横切り帰ってくるを繰り返す」「真冬のある日に電気代未納で電気を止められたけど、その時はどうしても自慰がしたかったからコートを着て極寒の中で射精まで頑張った」と誇れるエピソードがいくつかあるのに、だ。


ん?でもそう考えると「涼みにプールにやってきたと思ったらガッリガリクソダサゴーグル小学生に乳を何時も凝視されて『人を殺そう』と遂に決意したかもしれないのにも関わらずそれでもビート板を手に流れに逆らおうとする勇気」「氷点下にもなろうかという室内温度の中でおちんちんを丸出しにし体調を崩す危険をも省みないその勇気」という事で、私はいやらしさを通じて『恐怖に打ち勝てる人間』になれているんじゃないのか?そういえば「地獄先生ぬ~ベ~」を怖い思いをしながらも、それでも全話見た理由は「エロいシーンが見たいから」だった。