突っ立ってるだけで何かしらのイベントがやって来るのが「お祭り」であると見聞きしたはずが

何となく「7月25日からが夏本番」という風に思ってる。私が6年間を過ごした小学校では、毎年7月25日が2学期の終了日であり、夏休みの開始日であった。(7月25日が土日にあたり、それより早く夏休みに入った年もあったが、基本的にはそうだ。)


私の学級では「クラス内カースト制度」が導入されていたので、クラスの奴隷として穴を掘ったり掘った穴をまた埋めたりしてる様な学校生活を送っていた私は、とにかく『学校に行きたくない』と年中思っていて、「もうガリガリ貧相キモオタ卓球部奴隷として椅子に座ったり立ったりを8時間繰り返し行わされたりしなくて済むんだ!」という開放感が、十数年経った今でも、大人になった私の心に『7月25日からは夏』という夏の定義みたいな物を刻み込んでいるのだと思う。


子どもの頃はこの7月25日という1日を「これから1ヶ月の休みなんて、もう『永遠』じゃん!」と思って止まなかったはずなのに、大人になってしまえば「もう8月!?」とか「もう1年の2/3終了!?」とかで時の流れの速さを実感するばかりになっている。ただ、それでも夏休みを過ごしていた私と、大人になった私とで変わっていない事が一つあって、それは「夏休みなんだしせっかくだから夏っぽい事をしておいた方がいいんじゃないか!?」という、この季節になると必ず襲ってくる謎の焦燥感だ。


「夏なんだから旅行にでも行った方がいいんじゃないか…」
「夏なんだからお祭りにでも顔を出した方がいいんじゃないか…」
「夏なんだから友達と無理をしてでも女の子と触れ合う機会を作った方がいいんじゃないか…」
「夏なんだから」「夏だから」「せっかくだから…」


何なんだろうか、この「季節」に急がされる感じは。心の中でそうやって夏休みのハードルを上げまくっていたので、おかげで夏を楽しめた事が殆どない。


旅行も、家族や友達など、いつものメンバー、いつもの会話で数日間を過ごしてるだけだから『移動』としか考えられず、ずっと旅先で「これが今年の夏の思い出で本当にいいのか?」とボンヤリしていたら父親からは「何がそんなに気に入らないんだや!!」と伊香保の温泉で思いっきり怒鳴られる。


夏のアウトドアというのも楽しみ方がよく分からない。「今焼かれてる肉やら野菜やらにはよく分からない虫がドンドン集って、虫の死骸を食うことで未知の病原体を身体に宿すことにならないだろうか」とバーベキューでは心配になり、海に行けば靴の中には細かい砂がドンドン入ってくる。海に入るなんてのは論外だ。12本足で主食の鳥の糞をからめ取るようにして食う虫の死骸を口に入れる夏。15秒に1回のペースで靴に入った砂を取り除き、太陽に焼かれながら薄着の女を見て勃起でもしてしまえば「悪」として非難糾弾されるのを怯える夏。


アニメや漫画で「デメリットなんて一切無し!」として扱われ、そう教育された「地域で行われる比較的規模の小さいお祭り」も、現実世界にポンと投げ出されると途端に霞んで見える。


只々突っ立ってるだけで何かしらのイベントが降りかかって来るのが「お祭り」という物であると見聞きしたはずが、5時~10時まで粘ってみても「5発200円の射的の屋台、クラスのまだよく喋った事は無いけど好かれてる(私は全然その事に気付いていない、という状況)女子の欲しい景品を私が軽くチョイチョイチョ~イとゲットしてあげるパート」も全く無い。精々「友達の熊倉くんと一緒にいたら「私と小学校同じクラスだった」と言い張る全く記憶に無い男女のカップルに『ウーロンハイ一気飲みしろ』とコップを手渡され、あまりにしつこいので熊倉くんに全部任せて逃げ、1時間くらい公衆便所の個室にずっと隠れてた」くらいしか出来事らしい出来事は起きなかった。


もう夏本番である。ただ、そうやって「楽しまなきゃ損、損!」と声高に夏の野郎が叫ぶのならば、私も「じゃあ私にも夏の楽しさってヤツを提供してよ!もう!気付け!バカ!」と長年片思いしてる幼馴染に愚痴をこぼすツンデレみたいになってしまう。せめて地域の夏祭りに小学校の同級生だった人間が一人だって来なければ、少しは「夢見た夏の楽しさ」に近付ける予感はある。どう見てもホストと風俗嬢にしか見えないカップルが「あっ、エスキじゃーん」と声をかけてくるのがその夏の唯一の思い出なんて、悲しすぎるからだ。