迷子になって「何とか日本に帰らせてくれ!」と叫んでる内にもう3時

小学生の頃からラジオが好きだ。その中でも深夜ラジオを特に好んで聞いていた。



「やまだひさしのラジアンリミテッドDX」、「松本人志の放送室」に始まり、大学に入って一人暮らしを始めてからは「ナインティナインのオールナイトニッポン」、「伊集院光 深夜の馬鹿力」、「爆笑問題カーボーイ」、更に大学に友達もろくにいなかったのでもう少し早い時間からもラジオの電源を付ける様になり、「SCHOOL OF LOCK!」とかもよく聞く様になった。


最初に嵌ったのは「放送室」だった。私が小学校高学年だった時期に始めて聞いて、そこから5,6年は聞いてたから、小、中、高と私の何の出来事も起きなかった学生時代の傍らには、常にこの番組があったことになる。番組に影響されすぎて、友達との会話の中でもダウンタウンの番組ではお馴染みの「言葉を噛む事に異常に厳しい」というのを実践してしまい、結果色んな人に本当に嫌がられ、一時期私の周りでは誰も喋ろうとしなくなる程だった。


週に1度、1時間の放送をカセットに録音して、ゲームをする時も、漫画を読む時も、雪かきで実家の屋根に登った時にもイヤホンを耳に付け、繰り返し繰り返しずっとその週の放送分を聞きながら私は日常生活を送っていた。勿論、JUNKとかのAM放送ももっと早い時期から聞きたかったのだが、実家の電波環境的にFM放送しか私のラジオでは満足に視聴する事が出来なかった。



ただ、3ヶ月周期くらいで「それでも何とか聞けないものか」とラジオの周波数を合わせるダイヤル片手に目を瞑り、神経を極限まで集中させて北海道、大阪、福岡など全国の放送局を行ったり来たりしながら電波を拾って試行錯誤もしてみた物も、どうしても外国の電波も一緒に拾ってしまい、『大阪の電波局経由で雑音混じりに何とか聞いていた深夜番組のネタコーナー、投稿ハガキの大オチの部分で雑音が大きくなってきたと思ったら、突然広東語ヒップホップが2分流れ、「何とか安定期に入ってくれ」と願う内にイヤホンからはまた大きな雑音。その後に聞こえてきたのは、どうやら誰かの話し声。ようやく収まったと思ったが、何か様子がおかしい。よく聞いてみれば、『韓国版大沢悠里のゆうゆうワイド』みたいな、落ち着いたトーンで電話口の相談者と話し合うベテランっぽい韓国DJの声。(何故かバックに水槽に空気を送り込む為に泡を放出し続けるあのよく分からない機械の【ポワポワポワポワポワ】という音が韓国の大沢悠里が喋る声と同じ音量で流れ続ける)「もうネタコーナー終わっちゃってるんじゃ…」と不安になってきたくらいにまた雑音。10秒くらい我慢して、聞こえてきたのは有難い事に日本語。しかしよく聞いてみると、どうやらコレはAC広告機構のCMの様で「コレは果たして今まで聞いてた放送局の番組がCMに入ったという事なのか、それともまた別の地域の電波を拾ってしまって全然関係ない番組のCMを聞いてしまっているという事なのか!?」と、広い広いアジアで電波の迷子になる』という目にあった事も1度や2度では無かった。


スケールのデカい迷子になって「何とか日本に帰らせてくれ!」と叫んでる内にもう3時、番組終了という事もまああったから、電波環境の良い関東方面に引っ越すまで、ラジオの周波数ダイヤルを954や1242に合わせる事が殆ど無かった。(rajikoも当時は新潟では聞けなかった。パソコンも持って無かったし、スマートフォンなんか尚更だ。)


ただ、深夜ラジオは「深夜ラジオ」なので、全部聞いてしまうと翌日の登校がとんでもなくキツくなってしまっていた。小中学校は徒歩5分以内で到着できる近場だったのでまだマシだったのだが(あまりに近くにあったせいで中学校から自宅が丸見えで、部活をズル休みしてまで出席を促された『近所の人と合同の屋外バーベキューパーティー』という嘘みたいな夕食会の様子も体育館から全部覗かれ、後日部員全員から無視された1日の話はまた今度)一番辛かったのは高校に進学してからだ。私が通っていた高校は電車片道30分、更に駅から徒歩で30分という相当遠い場所にあったので、ラジオを聞き3時就寝、6時40分に起き10分で朝飯を食べ準備し、7時15分発の電車に飛び乗る、という生活では深夜ラジオはかなりの負担となってしまっていた。そんな状態で授業をされても、勿論聞ける体力など残ってるはずも無く、深夜ラジオを聞けば聞く程、私の学力は下がり続け、顔色は白くなっていき、体重はドンドン軽くなっていく一方だった。



そして今、大学から田舎に帰ってきて、FMしかロクに聞けない環境にまた戻ってきてしまっている。放送室は私が大学生だった頃にもう放送は終了し、ラジアンリミテッドもなんだかよく分からないポイント制を導入してからは全く聞かなくなってしまった。SCHOOL OF LOCK!も当時のパーソナリティだった山崎樹範校長とカリカの家城教頭も降板してしまったし、この前運転中に車のラジオで放送をたまたま耳にしたら、10代の若者が「片思いしてる娘の前でノリで自作の歌をギターで歌ったら泣かれてしまってどうしたらいいか分からない」などと相談してる様子が「辞めてくれーーーー!!恥ずかしいから辞めてくれーーーー!!!!」と頭を抱え込む様になってしまった事もあって、こちらも聞く機会が殆ど無くなってしまっている。何故あんな『若者の塊』みたいなとんでもなく濃いエキスを、大学生だった私は平気な顔して浴び続けられていたのか、今になって不思議に思う。



やはりああいう番組は「恥ずかしい」というのが心に芽生えない内だけの娯楽だったのだな、と実感する。あとメルマガの大喜利とかにも応募してクリアファイル貰ったり、学校掲示板に書き込んだりする程大好きだった番組のパーソナリティが「マンボウやしろ」とか最悪な芸名に改名して「オネエキャラになろうか悩んでる」などと相談するテレビ番組を見た時にも、私は「恥ずかしい」と思ってしまった。『大人になる』というのは、やはり辛い。