1000円払えば私もメイドさんから求人誌を渡してもらえるのだろうか

ハローワークに自分から行った回数よりマンデラが退院した回数の方が確実に多い様な日々を送っていれば、嫌でも思い知らされるのは自分自身の「出不精」っぷりである。


「肩が痛い」「背中が痛い」「頭が悪い」などと思いつく限りの言い訳満漢全席。ホンモノの方の満漢全席といえば、旧皇帝の人間たちはコレを数日かけ100種類にも及ぶ料理を順々に食って行ったそうだが、私の場合は日々何かを見たり聞いたりするだけで、言い訳の追加注文に次ぐ追加注文。一生かけても食い終わる事は無いのだから、「贅を尽くす」とは正にこの事である。生涯、『悩み』『苦しみ』を上手く調理した「のり弁320円の食い過ぎから来る慢性的な金欠」「女体を余りに見る事ができないことから来る心身の疲れ」「朝目覚めるといつも私を出迎えてくれるのは枕の上に横たわる抜け落ちた頭髪たち」などといった手の混んだ品々がいついつどんな時でも私に提供され、脳髄の一番弱い箇所に頼んでもいないのにドンドンと流し込まれていく。


秋葉原メイド喫茶では時給1000円程で働くメイドさんから900円のオムライスを「ふーふーあーん」、450円のソーダを「ちゅーちゅーごっくん」して貰えるサービスがあるが、こちらといえば0円の求人誌を「ふーふーあーん」で母から投げ渡され、0円で辛さが「ちゅーちゅーごっくん」と私の体内に溜め込まれて行く。こんなクソミソなサービス業があって溜まるか。1000円払えば私もメイドさんから求人誌を渡してもらえるのだろうか。「お仕事頑張って見つけて下さいね」とか笑顔で言われながら。…イヤ、それもそれで辛い。そんなクソミソなサービス業があって溜まるか。



自分自身がある程度どういった人間なのかは最近になってやっと少し分かってきた。この憎き出不精を完全に亡き者にするには、私は一体どうやって私を導いていけば良いのか。


「追い詰める」ことだ。少しずつ自分を追い詰め、自分で自分の外堀を埋めていかなければ、私は何かを行動に起こす事は無い。


自分がいつから奨学金を返済しなければならないのか、返済開始月を逆算する事で、ギリギリまでゲームをしたり漫画を読んだり充分遊んでから、渋々働く。
資格の一つや二つ取得しなければ、とニトリで勉強用の座椅子3980円を買って否が応でも「金払ったんだから勉強しなければ」と自身を机に向かわせる。
鏡で自分の顔をわざわざ凝視して「こんな白い顔の気持ち悪い成人男性のままでいいのか!」と喝を入れる。
テレビでアニマル浜口が出ていたら「社会に出るならこのくらいの小寒い出来事にも耐えられる様にならなければ」と頑張って見続けようとする。


しかしそれとは別に、最近になってやっと少し分かってきたのは、私は「意地でも逃げ道を見つけようとする」という事だ。私も『私歴』はもう24年にもなるのだから、「追い詰められた時に、どうやってそこを回避して楽をするのか」という事がもう精神に染み付いてしまっている。それが無意識的な習慣となってしまっているのだ。


奨学金を返さないといけない時期に来たから渋々働きだした物の、手取り月8万の楽チンバイトという現状に満足しきってしまい、そこから先の『就職』という2文字に踏み切る事は決して無い。
資格の一つや二つ取得しなければと勉強する為に買ったニトリの座椅子も、当初の目的は完全に忘れ、今やこの腐れ文字列を書く為だけに機能している。
鏡で気合を入れる為に自分の顔を見つめた後は、心身へのストレスだろうかこめかみ当たりに出来たニキビを触っていると、それを見ていた母が横から「枕と毛布が汚くて臭いからそんな所にニキビが出来るんだ」と『生きる意思』という物を根こそぎ持っていく様なお言葉を私に浴びせた後は「今日は外に出るのを辞めて14時間寝よう」と部屋に引き篭もる。
「気合だ」などと白目を剥きながら叫ぶ老人をテレビで見た後は「この人も後何年、こうやって元気な姿をテレビで見せる事が出来るのだろう。数年後に浜口京子レスリング引退ドキュメンタリーとかで寝たきりになって喋る事もままならなくなった姿をお茶の間に見せる事になるのではないだろうか」と全く関係ない一家の未来予想図を想像して、更に落ち込む事になる。


数日前、数時間前、数分前の私が「頑張った成果」「我慢して出した成果」を数日後、数時間後、数分後の私が「何とか全てを台無しに出来ないだろうか」と思案を巡らせ、ほんの些細な出来事ですら、それを『悩み』『苦しみ』に変換させて、生活に支障を与えさせてくれる。この、『どんな時でもしっかり結果を出してしまう』という所は、ベンゲルアンチェロッティ、ペジェグリー二あたりを連想させるし、「よくやるもんだ」と自分の事ながらも関心してしまう。逃げ場を無くそうとする私と、意地でも楽がしたい私とのせめぎ合い。コレをずっと繰り返していたら、いつの間にか私の年齢は24歳になっていた。


私の脳内では、逃げたり、避けたり、足場を崩したりで相当アグレッシブで慌ただしい日々が繰り広げられているのだが、いかんせんそれが肉体の動きとしては現れてくれないのだから、世間一般から見れば「出不精の怠け者」としか扱われない。


目を見開きながら布団に横たり「忙しい忙しい」と言っても誰も取り合ってくれないのが常識という物である。そこで「肩が痛い」「背中が痛い」「頭が悪い」と呟くのは、『外界との接触を遮断してまでもこの一戦に集中したいのだ』という決意の現れ以外の何物でも無いのに、である。しかし、ニュースを見るとなんとマンデラもかなり危険な状態とのこと。私の「ハローワーク入室回数」と「マンデラ退院回数」も、もうこれ以上差が付く事は無さそうだ。