宙に浮くべき5つの円形物

「月がキレイですね」という文字列をツイッターで見ない日がありません。皆さん月が本当に大好きみたいですね。確かに、月は良い物です。暗闇の中にポツンと浮かんでいる円形の発光体というのは、何だかそれだけで幻想的です。


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しかし、ちょっとココで考えてみましょう。私たちに「夜になると月は出るもの」という固定概念があるせいで、「暗闇の中にポツンと浮かんでる『アレ』は綺麗で良い物である」と思わざるを得ない状況にいつの間にかなっている、と思った事はないでしょうか?


別に夜になると宙に浮きだす物が月でなくてならない訳では無いのです。月よりも『暗闇の中に現れて欲しいもの』というのは存在するのではないでしょうか。


しかし、いくら『欲しい!』といっても、月の変わりに「もっとちゃんとした学歴」「日商簿記1級の資格」「母親にパートを辞めさせてあげられる程度の纏まった金」などなど、人間の欲望のままに『宙に何でもかんでも浮かばせてしまえ!』という訳にはいかないでしょう。グラウンドに照明も無く、これまで月の灯りを頼りに練習を続けていた様な弱小高校野球部は、暗闇に打ち上げられた「慶応義塾大学薬学部 卒業見込み」と書かれた巨大な履歴書を前に、途方に暮れる事になるかもしれません。球児の努力と一夏の思い出を無下にしてしまう様な事態は出来るだけ避けたいのです。


ここでは人々がなるたけスンナリと「月よりもいい物があったじゃないか!」と受け止められる様に、『円形のモノ』に形状を限定して、『暗闇の中で宙に浮かんでたら良い物』を提案していこうと思います。月なんかよりも、もっと人々の心を魅了し、癒してくれる円形の何かが、きっとこの世には存在するはずです。






1、貨幣
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まずは貨幣です。やはり世の中は「金」です。


「愛」だの「心」だの「優しさ」だの「気持ち」だの、知ったこっちゃありません。金があるから人々の心には余裕が生まれ、「花よ鳥よ 雲よ空よ」と舐めた事を抜かす事ができる。


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一番良いのはやはり500円玉です。500円玉さえあれば、すき家でネギ玉牛丼にみそ汁とお新香を付ける事ができる、モスバーガージンジャーエールMが2杯飲める、毎月のお小遣いが1000円の小学生の集団に投げ込めばちょっとした紛争、いざこざを見る事ができる。月で腹が膨れますか?月で喉が潤いますか?月で小学生が遊戯王カードを買う事ができますか?月という「情景」より500円玉の方が優れているのは明白です。



2、一眼レフのレンズ
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一眼レフといえば皆さんお馴染みのサブカルブスです。


巷では猫の影さえ見れば「ぬこ~」などと叫びドタドタとそのデカい尻を振りながら猫の後をカメラ片手に追いかけるブス、インターネットでは件の猫の写真をインスタグラムに嬉しそうに上げるブス、Twitterのアイコンは自身の顔をアニメキャラっぽくデフォルメしたイラストにし「今日のコーデ」など誰も求めていない情報を公開するブスなどなど…。最早「一眼レフのレンズ」はブスを調子付かせるだけの道具に成り果ててしまいました。これも全て宮崎あおい蒼井優の責任でしょう。


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もう我々に残された手段はただ一つ、「耐性を付ける」という事しかありません。毎夜毎夜宙に浮かぶ一眼レフレンズにブスの影を見る事で、その目で実物のブスを見た時に、少しでも心に負担を掛けない様にするのです。月にブスの影を見る事が出来ますか?月でブスを見慣れる様になりますか?月という「衛星」より一眼レフのレンズの方が優れいてるのは明白です。


3、医者が額に付けてるCD
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医者と医者ではない一般の方が会う様なシチュエーションといえば、それは勿論「病気になった時」もしくは「怪我をした時」しかありません。


大人という生き物の中の「低所得者」という種族は、なんと2種類の会話しか出来ないと言われています。1つは「金の無い話」。そしてもう1つは「体の何処どこが痛い話」です。聞いてもないのにまるでそれが義務かの様に喋り続ける。それが彼ら「低所得者」という生き物なのです。そしてそのクソみたいな話を聞かなければならない不憫な人々も、また同時に存在するのです。


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ここまで書けばもうお分かりでしょう。低所得者のロクでもない話を、宙に浮かんだお医者様に聞いてもらうのです。低所得者なんて物は成人するまで食費学費込み込みで100万円くらいしか親に使ってもらえずに大人になった様な学の全く無い種族ですから、「今日からあの夜空に浮かんだお医者様があなたの話を聞いてくれるわよ」と老いた母にさえ言われれば、30代カントン包茎フリーターも重低音の声で「うん!!」と元気よく返事します。


コレで低所得者の話を聞かないで済む様になった人々が解き放たれ、恋に仕事に大忙しの日々をやっと送る事ができる訳です。月がお医者様になれますか?月が低所得者の愚痴を聞いてくれますか?月という「厨二病の象徴」よりも、医者が額に付けてるCDの方が優れいてるのは明らかです。



4、田舎の道路を走っていると急に現れる緑色のデカいアレ
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田舎の道路を走っていると急に現れる緑色のデカいアレに「田舎の道路を走っていると急に現れる緑色のデカいアレ」以外の印象を持ち得ない、というのは日本に住む人間であれば誰もが「田舎の道路を走っていると急に現れる緑色のデカいアレ」に対して抱く感想だと思います。


「善意」の対義語というのは「悪意」ではなく「無関心」であると言われています。例えば就活で失敗し、ヤケ酒を居酒屋であおった帰り道、ふと上を見上げると雲一つない空に満月がポカンと浮かんでいたとしたら、コレはなかなか腹立たしい物があるでしょう。「なにを幻想的な情景を映し出しているのか」と。「なにをこんな日に限って、当てつけの様に月はその全貌を明かしちゃっているのよ」と。何かに失敗した人間というのは、見る物全てが憎くなってくる物です。そんな時に「こんな日に限って」という偶然性が一つ加わるだけで、その対象への憎しみ殺したみは100倍、1000倍と跳ね上がります。


月を「誰もが無関心でいられる物」に変えてしまいましょう。無関心でいられるからこそ、その「悪意」「憎しみ」といった物は、心の中でそれ以上広がる事はありません。あっても無くても誰も気が付かない物、という点では「田舎の道路を走っていると急に現れる緑色のデカいアレ」を上回る円形の物体は存在しないはずです。月を見て誰もが無関心でいられますか?月を見て「何アレ!急に視界に現れたんだけど!」となりますか?月という「餅をつく兎の図」というこじ付けより田舎の道路を走っていると急に現れる緑色のデカいアレの方が優れているのは明白です。



5、乳輪
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人間は「乳輪がキレイかどうか」という視点でその個人の価値を測ろうとしがちです。例え『図書委員』の『三つ編み』の『処女』といういちご100%にしか出てこない様な童貞が理想とする女が目の前に現れたとしても、その処女の乳輪の直径が医者が額に付けてるCD程の大きさであったら、どうでしょうか。または乳輪の直径が乳首に最早吸収されているかの様な「あるかないか」のレベルでの小ささであったら、どうでしょうか。「台無しだ」と感じてしまう事でしょう。「お前は何なの テンポ○ 寸前×なの」と感じてしまう事でしょう。


しかし、乳輪に限って言えば「理想を追い求めるべき」であると感じます。そうやって「理想の乳輪」と洋物の動画や安い風俗店等で見る「ウソみたいな乳輪」という夢と現実の狭間で右往左往するからこそ、少しずつ少年は大人に近付いていくのでしょうし、そしてそうあるべきです。


上空にはいつも乳輪。天を仰げばいつも乳輪。「あの綺麗な円形を、いつの日か自分も女体を介して拝もうと考えていた時期もあったな…」と薄ら笑いできる様な経験を持てたなら、それはきっと『青春』であったのです。月が青春を提供する事ができますか?月が「AVは撮影前に女優の乳首にもメイクを施す場合もある」と教えてくれますか?月という「使徒の起源」より乳輪の方が優れいてるのは明白です。


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さて、ここでは5つの「宙に浮くべき円形物」を提示してみました。『月は宙にあって当たり前な物』という考えのせいで、色々な物を見失っていたという事に気付いてもらえたと思いますし、まだまだ月よりも価値がある円形物は存在しそうです。これを機に、人々は月の過大評価をいい加減に辞めるべきです。何が『『【リア充】好きな人に「月が綺麗ですね」とメールした結果まとめ【爆発しろ】』だ!殺すぞ!という事です。このまとめを見ていたら、『書くべきだ』と思いました。


ついカッとなってこの様な提案をしてしまいましたが、全く後悔していません。もう辞めましょう。月の下で寄り添う2人、みたいなライトノベルの挿絵、もう辞めましょう。朝青龍が見つめる中で病院を病弱な美少女と抜け出し、自転車2人乗りして高台に向かい、空一面の朝青龍を少女と見つめ続けましょう。絶対その方がドラマチックでロマンチックです。最近朝青龍もテレビで見かけませんし。