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「気持ちの悪い成人男性」が優しい人間である事を、世間は決して許してくれない

思えば私に「発言権」があった試しが無い。


「ロクに職にも就かずにフラフラしているお前が何かに対して意見を持てるなんて思うな」とは、『働く人間こそが善』と考えがちな人間が陥りやすい偏見であり差別ではある、というのはわざわざココで強く言う必要も無いトピックであるが、しかし成人してから『ソレ』が始まった訳でも無く、小中高大と、一貫して私の人生に課せられたハンデの一つとしてこの『発言権無い問題』は、挙げる事が出来ると思う。


勿論「子ども」という存在であった時期も私にはあった訳で、そういう、自由と引き換えに『近くに大人がいないと同じ人間とは扱わないよ』という『人間もどき』でしか無かった子ども時代では、何かに物を言う事なんてのは許される訳は無いのだが、ただそれにしても、家庭でも、学校でも、友達とのお遊びの中でもそういう傾向があった様に思う。無視される訳では無いし、嫌がらせされる訳でも無い。只々「蔑ろにされる」という事だ。


そうなった理由は私自身いくつか挙げる事は出来るし、まず私は「足が遅かったから」、「遊戯王カードを奉納していなかったから」、「眼鏡をかけてガリガリに痩せて卓球部に所属していたから」、「家では全部お母さんが決めてくれたので、自分が意見を持つというトレーニングをしてこなかったから」といった『自分に自信が持てない人間の特徴』を全て備えた人間であったと自負している。私を取り巻く環境が私という人間を構成した癖に、その環境が私を『もっと頑張れ!』『もっと声を出せ!』『もっと自分を持て!』と急かし、プレッシャーをかけるのである。滅茶苦茶だ。矛盾している。「悪いのは全てお前で当たり前」というスタンスを絶対に崩さない。どうかしているのは完全に奴らの方だ。


では何故そんな立場に甘んじ続けたのかといえば、コレは私自身が「優しいから」というたった5文字の理由で説明する事が出来ると思う。優しいから、別の誰かに喋ってもらう事で自身の意見を引っ込め「皆が仲良くなれる方法」を取る事が出来るのである。優しいから、「私が我慢すればいい話だから」と、沢山の兄弟姉妹を持つ大家族の長女の様な事を実践する事が出来るのである。もやしも好きだし。


しかし、しかしである。いくら私がもやしが好きでも、中学生でありながら『アイドル』と『一家のお母さん役』との両立をこなす美少女では無いのは周知の事実であり、では何かといえば、私自身を限りなく平たい言葉で表すとしたら、それは「気持ちの悪い成人男性」なのである。


「気持ちの悪い成人男性」が優しい人間であるのを、世間が許してくれる事は決してない。

「気持ちの悪い成人男性」はスライムの様な得体の知れないネチャネチャした物体を部屋の隅で啜る様にして食っていなければならない。

「気持ちの悪い成人男性」は自身に感情が芽生える事は生涯なく、道を歩けば擦り寄って来る子犬という子犬を全て蹴り上げながら歩かなくてはならない。

「気持ちの悪い成人男性」は、常に弱き者の敵となり、強き者の味方をし、そして最後にはインテリ大学生に論破され「やっぱり『気持ちの悪い成人男性』というのは人類共通の敵なのね」と、インテリ大学生に肩を抱かれながら街中に消えていくHカップフェリス女学院大学生から、蔑まれる様に呟かれなくてはならない。


この「優しい」というのも、結局は「足の速かった奴ら」の物であり、「デザインパーマをかけブレザーを大学に着ていく奴ら」の物であり、「居酒屋で女子をすぐあだ名や下の名前で呼ぶことの出来る奴ら」の物である。


「優しそうなアクションを取れそうな人たち」が見せるから、それは「優しさ」になる。「気持ちの悪い成人男性」が見せる優しさは、「只の引っ込み思案」や「意見を人にぶつける事も出来ない、只の『意思の弱さ』」となってしまう。


「きっと誰かは見ていてくれている」などと勘違いしてはいけない。気持ちの悪い成人男性の一挙手一投足など誰も見てもいないし、気にもかけていない。その個人が「気持ちの悪い成人男性」である限り、それは優しさでは無く、悪意を持って「気持ちの悪い成人男性に対するマイナスイメージになり得る何か」として、勝手に変換されてしまうのである。


「発言権」を得るには、私が振りまくこの「優しさ」にも、説得力を持たせる事が必要だ。他者からの第一印象が「特筆すべき点は何もないし、この人を見ても私は何も感じなかったけど、何も言わないというのも失礼だから適当に言葉を紡いでおこう」の末の『優しそうな人ですね!』である私であり貴方なのだから、そこにしっかりとした裏付けと根拠を、後から作ってしまえば良い。まずは「うっうー!」などと叫び、ハイタッチを所構わず行う事だ。だんだん私の造形も優しい優しい女子中学生に近づいてきた事だろう。声も高くなってきた気もするし、自分が14歳であった様な気もしてきた。『人生のゴール』は、もうすぐそこであるかの様に思える。