声優以外の職業で考えましょう

最も人から慕われる職業とは何でしょうか?
最も人から尊敬を集める人種とは、一体何を指すのでしょうか?



「この世」という物は、皆さんもご存知の通り、只々生きていくだけでも血反吐を吐く様な思いをしなければなりません。

社会では個々人の意思などは全く尊重されず、歯車として生きていく事を強要され、街に出てみれば犯罪が起こらない日など1日たりとて無く、750円で自らの貴重な1時間をバイトとして社会に売っている哀れな若者も、「声の大きい大学生こそがこの世界の主役などではないか」と勘違いしてしまう日もある様な、そんな不条理な世界に私たちは何とか生きているのです。

テレビ画面の向こう側では、よく名前も知らない読者モデルが、旅番組で「田舎には、『何も無い』がある」と一言発するだけで、給与が口座に振り込まれます。
サッカー中継では、よく分からない解説の中高年が「シュートで終わって欲しいですね!」と一言発するだけで、給与が口座に振り込まれます。(中高年とキーボードで打つと予測変換で「中高年フリーター」が最初に出てきたのがショックですが、続けます)
本当に我々が知りたい事など、社会は発信する気も無く、大多数の人間は「人が生きる上で本当に必要なこと」などという物を社会には求めていません。
『空虚でさえなければいい』。ただそれだけが『私』と『その他』を結び付けているのです。


パワプロのサクセスの様に、自分の評価を正直に毎週毎週答えてくれる他人など存在しません。それが家族であれ友人であれ、そこには「優しさ」や「甘さ」や「配慮」が名を変え形を変え、『嘘』になって『本当』の中に混じってしまう物です。

あなたに優しくしてくれた友人も、「今後自分に利益をもたらすかもしれない」という打算的な考えがあったからなのかもしれません。

あなたに親身になってくれたバイト先の店長も「時給750円のクソフリーターのくせに!女を知らずにそのまま死ね!」と、心の内では侮蔑しているのかもしれません。

人に心がある限り、疑い、疑われる関係はどこまでもどこまでも続いていく。結局は信じた『フリ』、愛した『フリ』しか、我々には出来ないのです。

人を信じる事も出来なければ、社会もメディアも信じる事は叶わない。こんな世界において、人々から敬われる価値のある人間など、存在するのでしょうか?

そんな事を、私はxvideosにアクセスしたり、ゲオに行って佐山愛が一本も置いていない事に憤慨したり、餃子の王将に行って餃子と小ライスだけ食ってたら隣の知らないオバサンから「コレ、食べかけで申し訳ないけど、お腹いっぱいだからあげるわ」と半分くらい残った焼きそばと会計を済ませて帰っていくオバサンとを交互に見ながら、考えたりしているのです。

尊敬されるべき人種とは「王将に一人で入って焼きそばを食べるオバサン」であるのでしょう。

あと佐山愛を置かないゲオは潰れろ。