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1億総自分らしさの時代

「らしさ」とは、一体何だろうか。

一言に「らしさ」といっても、日本語には多種多様な意味や使い方がある訳で、ただ私がここで言いたい「らしさ」とは「3歳くらいだった私が寝る横で、私を起こさない様、父と声を上げずに妹を作る行為に徹していた時の、母のその顔のいやらしさ」の「らしさ」では無く、「男らしさ」「女らしさ」「自分らしさ」の『らしさ』である。私の母の裸体を想像してしまった方には申し訳ないが、今回はそういう話では無い。人の親の何を想像してるんだ!お前はそれでも同じ人の子か!


まあしかし「らしさ」に溢れている世の中だな、と改めて感じる。学校に行けば「自分らしさを大切にしろ」と教育され、異性と会えば「男らしくない」だの「女らしくない」だのと言われる人間は数知れず、テレビを付けドラマでも見てみれば「こんなの、お前らしくないじゃないか」「…そんなの知らないわよ!私らしくって何なのよ!!」と、何気無い一言に急にキレる女も月に1回は必ず登場し、「挙動不審で人間らしく見えない エイリアンみたい」と、私もたまに外に出てみれば、急展開の末に他人から人間失格の烙印を押される事態になっている。


「人はこう生きるべき」「男はこう、女はこうあるべき」という様な「縛り」が「らしさ」であるのなら、やはりそれは他人を窮屈にさせる物であるし、それはいつか、自らの首をも絞める事になる場合も、きっとあるのだろう。


ただ、心という物は、それが分かっているつもりでいても、ついつい先入観で物事を見てしまったり、思い込みで他人を穿った見方で評価してしまったりという事は多々あって、「人ひとりを駆動させるというのに、何故こんなにも不器用なのか」という感想を『ヒトの心』に対して、私はどうしても持ってしまう。


しかし、「先入観に頼る」というのはやはり楽なのだ。「都会に住む人間は全員冷たい」「中国人は『~アルヨ』と喋る」「スウェーデンはフリーセックスの国」「声優はみんな処女」などなど、ありもしない様な固定観念ばかりが世の中には溢れている。しかし、実際の所は都会に住む人間にも優しい人間はいるだろうし、中国人が『アルヨ』と喋るのはらんま1/2と銀魂の中だけであったし、スウェーデンにも就職にもつけずに、毎日インターネットで日々をやり過ごす様に生きている童貞無職は絶対いるし、声優も処女膜を震わせることなく仕事する事は勿論可能だ。


それでもいつの間やら、心が固定観念、先入観に頼ってしまうのは、それが自分の知らない世界であるからだ。

自らと全く関わり合いが無い様な世界と、自分との距離を埋め合わせる為に「東京に住む人間は路上の死体も素通りしていく」「処女膜を振動させる事で、声優は仕事が出来る」が使われる。「知らない世界も、とりあえず自分の物にしておきたおい」という考えにおいて、「○○は○○だと聞いたのだから、そうなのだろう」というのは、落とし所として思考をストップさせたい時に限り、非常に優秀な自分への言い訳になってくれる。


そうなってくると、「自分らしく生きる」というのは、自らが信じる物に、見方に、価値に、観念に、絶対的な自信がある人間だけが選べる生き方であると感じる。要は「やりたい様にやらせろ!」というのが「自分らしい」という事であるのだ。

出来る事ならば、未知の世界にも好奇心を持って挑んでいける様な人間でありたい。固定観念に縛られる事なく、「考え」ではなく「個人」に目を向けられる様な人間でありたい。心は器用に動く事ができなくても、その足りない部分を、頭で想像してみたり、相手を思いやったりする事で、上手くカバーする事ができれば、もう少し「らしさ」に惑わされないで済む生き方が出来る様な気がする。



…最後に、本当にどうでもいい事であるが、ちょっと書きたくなったので書く。少し前の「やりたい様にやらせろ!」という箇所を書いてる途中で、今日の一番始めに書いた「3歳の私が寝てる横で父と母が声を押し殺し妹を…」の部分を思い出してしまって、少し笑って、少し落ち込んだ。そうだね、やりたい様にやりたかったんだね、もう少し子どもが大きくなったら、「あっセックス!」ってすぐバレちゃうもんね、今の内だけだもんね、分かる分かる分かるわ~。

「親らしさ」って、一体何なんですかね。